テーマ : 気象・災害

地域で話し合う時間大切 長岡技術科学大教授/上村靖司さん【能登地震 研究者や経験者 被災地へメッセージ】

 甚大な被害をもたらした能登半島地震。直面する課題にどう対応すればいいのか。これまでの国内災害で、長い間奮闘してきた研究者や市民らが、それぞれの教訓や今回の被災地へのメッセージを語った。

上村靖司さん
上村靖司さん

 能登半島地震と同様、2004年の新潟県中越地震は、中山間地を襲った災害だった。人口減少や高齢化が進む中越の集落の持続可能性を住民と考えてきた上村靖司・長岡技術科学大学教授は今回、「地域ごとにじっくりと話し合う時間が必要」と提言している。
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 震度7を記録した新潟県川口町(現長岡市)が実家で、両親は無事でしたが、被災しました。地震の前から過疎が進み、衰退しつつあった中山間地の集落を中越地震は襲いました。多くの土砂災害や道路寸断、集落孤立など共通点は多いですが、能登半島地震の被害に言葉を失います。
 災害があると人口流出は避けられません。中越地震でも全員が山を下りた集落もありました。
 能登半島地震も、市街地に集約した災害公営住宅を建てるのか、集落ごとに景観や伝統に配慮した小規模な復興住宅を用意するのか、多様な選択肢が必要です。過去の災害で、元の土地に置いたトレーラーハウスをついのすみかにした例もあります。大切なのは、地域のことは地域で考え、決めるという原則です。
 中越の場合、それには時間が必要でした。避難所や仮設住宅で不安を吐き出し、地域の将来を話し合う時間は貴重でした。今回の避難先も、コミュニティーを維持する配慮はあるようですが、まとまって話せる場があることが重要です。国や自治体はあまり急がせないでほしいと思います。
 昔からの暮らしを営んできた中山間地の人々の「生き抜く力」に驚かされてきました。限界集落と呼ばれますけど、消滅させてはいけない大事な存在だと思います。
 中越地震の再建は、復旧後の未来を見つめるだけではなく、地域の過去や文化を振り返り、再発見する作業でもありました。支援に入ったり、移住したりした多くの「よそ者」との交流のおかげで、集落の人々は、当たり前だった自分たちの暮らしの価値を見直すことができました。
 外部の若者などによる支援員という制度をつくり、新潟県が基金で支えたことは、地域おこし協力隊の発展や交流人口といった概念の定着に貢献しました。日本の過疎地域の在り方に一石を投じたと思っています。
 復興は長い道のりですが、できることから始める姿勢が大切です。店舗の本格再建には時間がかかります。テントや仮設店舗で物を売って現金収入を得る。復興はそんな小さな成功体験の積み重ねだと思います。

 新潟県中越地震 2004年10月23日、新潟県川口町(現長岡市)を震源とするマグニチュード(M)6.8の地震が発生。最大震度7を記録し、68人が死亡した。大規模な土砂崩れなど中山間地の被害が大きく、山古志村(現長岡市)では一時、全村避難を余儀なくされた。

 かみむら・せいじ 1966年新潟県生まれ。長岡技術科学大卒。専門は雪氷工学。「越後雪かき道場」主宰。日本災害復興学会理事なども務める。

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