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プリゴジン氏の死亡確認 ロ政権、ワグネル編入図る 2万5千人、指導者不在に【大型サイド】

 ロシア民間軍事会社ワグネルの創設者エブゲニー・プリゴジン氏の死亡が27日に確認された。23日に墜落した小型機に乗っていたことが遺体のDNA鑑定で確定した。ワグネルは突然「指導者不在」に。プーチン大統領はウクライナ侵攻に加わる義勇兵に国への献身と司令官の命令に服する誓約を義務付け、ワグネルを軍に取り込む姿勢を鮮明にした。残った戦闘員ら約2万5千人の処遇が今後の焦点の一つだ。

第2次大戦の「クルスクの戦い」80周年記念式典でロシア軍兵士らと並んだプーチン大統領(中央)=23日、ロシア西部クルスク州(ロシア大統領府提供・タス=共同)
第2次大戦の「クルスクの戦い」80周年記念式典でロシア軍兵士らと並んだプーチン大統領(中央)=23日、ロシア西部クルスク州(ロシア大統領府提供・タス=共同)
アフリカで撮影した映像として21日に公開された、ワグネル創設者プリゴジン氏の姿(ワグネルのテレグラムより・ゲッティ=共同)
アフリカで撮影した映像として21日に公開された、ワグネル創設者プリゴジン氏の姿(ワグネルのテレグラムより・ゲッティ=共同)
プリゴジン氏を巡る構図(写真はロシア大統領府提供、ロイター、タス)
プリゴジン氏を巡る構図(写真はロシア大統領府提供、ロイター、タス)
第2次大戦の「クルスクの戦い」80周年記念式典でロシア軍兵士らと並んだプーチン大統領(中央)=23日、ロシア西部クルスク州(ロシア大統領府提供・タス=共同)
アフリカで撮影した映像として21日に公開された、ワグネル創設者プリゴジン氏の姿(ワグネルのテレグラムより・ゲッティ=共同)
プリゴジン氏を巡る構図(写真はロシア大統領府提供、ロイター、タス)

 侵攻で戦果を上げる一方、軍と鋭く対立したプリゴジン氏。エリート層を批判する「庶民の英雄」としての人気の一方、戦時下にショイグ国防相やゲラシモフ参謀総長を無能呼ばわりする異様な言動には批判もあった。
 「古い知り合いだった」と述懐したプーチン氏は墜落翌日の24日、早くも哀悼の意を表し、死亡を前提に動き出した。25日には大統領令で、義勇兵全員に国旗の前での誓いを命令。「弾薬を渡さない」と軍を批判し、6月に反乱に走ったワグネルを国の統制下に置く狙いは明らかだった。
 プリゴジン氏がショイグ、ゲラシモフ両氏の解任を要求しモスクワに向け進軍した6月24日、プーチン氏は緊急テレビ演説で「国と国民の背中にナイフを突き立てるようなもの。裏切りだ」と非難。処罰を断言した。
 だがベラルーシのルカシェンコ大統領がプリゴジン氏を説得し反乱を中止させた後には「戦闘員の大半は戦場で戦った愛国者だ」と述べ、軍への入隊やベラルーシ行きも認めると表明していた。
 ベラルーシに亡命するとみられたプリゴジン氏はその後帰国。ワグネルが活動してきたアフリカに渡航するなど自由な行動を続け、「反乱の首謀者が免罪された」と疑問の声が上がっていた。
 そもそもプリゴジン氏の反乱の発端は、全ての義勇兵に7月1日までに軍との契約を求めたショイグ氏の命令だった。
 プーチン氏は反乱収束後の6月29日に大統領府でプリゴジン氏らワグネル幹部と会談した際も、内務省出身のアンドレイ・トロシェフ司令官を指導者にして軍務を続けるよう提案。だがワグネルを手放す気がないプリゴジン氏が拒否し、事態は袋小路に陥っていた。
 ロシア軍には2万人を超す部隊は貴重だ。また、アフリカで軍事活動の傍ら築いた石油や希少金属の権益も、欧米の制裁を受ける経済の回復に重要な意味を持つ。国によるワグネル統制は至上命令になっていた。
 その一方、「きれいな執務室で肥え太っている」と軍幹部を批判、戦死者の墓地を造り、前線に何度も足を運ぶプリゴジン氏は戦闘員にカリスマ的権威がある。同氏がワグネル指導者にとどまることと軍編入が相いれないことは明らかだった。
 ワグネル関係者が管理するとみられる通信アプリは墜落直後に「情報機関や国は敵ではなく、世直しを求めた人物を滅ぼした」と投稿、政権の関与を示唆した。(共同)

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