あなたの静岡新聞
▶ 新聞購読者向けサービス「静岡新聞DIGITAL」のご案内
あなたの静岡新聞とは?
有料プラン

テーマ : 牧之原市

新事業構想に不安も 保育の理念見えず温度差/川崎幼稚園㊤【届かぬ声 子どもの現場は今⑰/第3章 言えない環境】

 組織の風通しが悪く、保育者が抱いた疑問や不安が経営側に届かぬまま埋もれていく―。昨年9月に送迎バスへの園児置き去り事件が起きた牧之原市の認定こども園「川崎幼稚園」にも似た構図があったと複数の関係者が証言する。

職員に配られていた書類。「100年構想」の言葉が見える
職員に配られていた書類。「100年構想」の言葉が見える

 川崎幼稚園は1962年に幼稚園として設置が認可された。80年に運営母体の学校法人榛原学園が誕生。以降は幼稚園経営を続けてきたが、2012年4月に市立保育園の指定管理を始めた。翌13年には別の市立保育園の指定管理者として指定を受けた。こうした動きに対し、議決機関の理事会関係者は「保育者が集まるのかという心配はあったが、基本的に法人トップが『大丈夫だ、これをやる』と言えばやることになる。個人経営のような感じだった」と話す。
 その後、法人内で人生100年時代にちなんだ「100年構想」という言葉が出始めた。急速に進む少子高齢化を踏まえ、未就学児の教育・保育施設の経営だけでなく高齢者に対する福祉サービスなど、幅広い年代に関わって事業化していく青写真を描いた。
 構想の実現に力を注いでいたのが、当時の増田立義理事長兼川崎幼稚園長の長男で事務長の多朗氏(現理事長)だった。市立保育園の指定管理を始めた頃から法人の経営に深く関わるようになったとされる。職員を前に構想を語り、「事業規模が大きくなれば給料に還元できる」と熱弁することもあったという。
 ある関係者は「悪い話ではないが拙速と感じた。もう少し足場を固めてからやるべきではと思った」と明かす。本業の保育をより良くするために、まだ施設や人員の充実が最優先されるべき段階だと思っていた。構想からはそもそも園児をどう育てていくかという肝心の理念が見えなかった。別の関係者も「子どもにも職員に対しても一人一人を見ることなく、数として駒のように動かしているように見えた」と指摘する。
 事務長が経営者としての立場を強調するほど、大切な命を預かりながら書類仕事や保護者への対応にも追われる現場との温度差が自然と生まれ、意見が伝わりにくい雰囲気も広がっていったという。
 法人が事業拡大の道を歩んでいく中で、川崎幼稚園には現場の環境を大きく変える転機があった。15年、幼稚園の形態に保育機能を加えた「幼保連携型認定こども園」に市内で先陣を切って移行した。同年の3月、当時の市長ら関係者約50人を招き、移行を前に建設した新園舎の落成式が同園で開かれた。

▶ 追っかけ通知メールを受信する

牧之原市の記事一覧

他の追っかけを読む