テーマ : 教育・子育て

スカートも寝押し ひだ増えても変わらぬ「儀式」【近現代 学校制服考⑩】

 前回、女子生徒たちが袴[はかま]の寝押しをしていたことについて書いたが、それはスカートになっても変わらなかった。セーラー服を着る生徒は、下に穿[は]くスカートのひだはきちんと整列していないとみっともないと感じた。彼女たちの多くが寝る前に布団の下にスカートを敷き、しわがつかないように伸ばしていたのである。

(イラスト・梅原陸)
(イラスト・梅原陸)

 昭和5(1930)年4月に埼玉県の深谷実科高等女学校(昭和15〔40〕年に深谷高等女学校〔以下高女と略称〕、現・深谷第一高校)へ入学した生徒は「大変なのは、はかまの手入れである。はかまのひだが丸くなっているのは、ものぐさ者であると見られた。そこで、ひだがきちんとついているようにしつけで止めてたたみ、ひもは石だたみにする。時々寝おしをするとひだがピシッときまって、はいても美しい」と述べる(「七十周年記念誌」78年)。この生徒が3年生を迎える昭和7(32)年に着物に袴からセーラー服へと制服が変わった。上記の文章に続けて「ひだのスカートだったので、依然として、しつけと寝押しからは開放されなかった」という。
 そのように努力しても、通学路が長いと歩いているうちにひだがなくなってしまうこともあった。そのことを和歌山県の紀南高女(現・県立南部高校)の生徒たちの姿が教えてくれる。同校に南部付近から通学する生徒は長距離歩いて通学しなければならなかった。ある生徒は「みんな歩いての通学でしたので大変だったと。特に雨の日なぞスカートのひだもなくなる程ぬれて本当に気の毒だったのを覚えています」と回想する(「南部高等学校の百年」2005年)。
 東京の目黒高女(現・都立目黒高校)の生徒でのちに人気作家となる向田邦子も寝押しを行っていた。向田は、当時の寝押し作業を「女学生の夜の儀式」と呼ぶ。
 「まず布団を敷く。それから敷布団ごと、柏餅[かしわもち]を二つ折りにするように折り畳んでおいて、畳の上にスカートを置く。スカートは紺サージである。慎重に前と後の襞[ひだ]を整え、そろそろと、整えた襞を乱さぬよう敷布団をのせなくてはならない」「朝、目が覚めると、一番先に布団をめくって、スカートを調べた。寝相が悪かったせいであろう、襞に二本筋がついていることもある。おかしな具合に折れ曲がっていることも多かった」(向田邦子「襞」〔「太陽」1980年2月号〕)。
 スカートのひだを真っすぐに保つことは難しかったようだ。朝起きて、ひだに二本筋がついたり、折れ曲がってしまったときには、「『ああ、どうしよう』朝から気持ちが潰[つぶ]れた」という。また「たかがスカートの襞の一本や二本と思うのは、いま、大人になっての気持ちである。あの頃は、それが何かの目安だったのであろう」と回想する(同)。
 筆者の亡き祖母は目黒高女で向田の先輩にあたるが、生前に同じようなことを語っていた。女子生徒たちにとってスカートのひだの数が多いことと、そのひだがきちんとしていることは憧れだったのである。しかし、昭和16(41)年12月に太平洋戦争が始まり、彼女たちにモンペやズボンの着用が強制されると、スカートの寝押し作業は奪われることとなる。
 (刑部芳則・日本大学商学部教授)

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