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テーマ : 熱海市

被災地の子ども支援とは NPOカタリバ 能登で活動

 発生からあすで3カ月となる能登半島地震。現地で子どもの居場所作りや学習支援に取り組む認定NPO法人カタリバ(東京都)は、2011年の東日本大震災以降、地震や豪雨水害などさまざまな被災地に入り、県内では21年の熱海土石流災害でも遊び場を設け、子どもたちに寄り添い続けた。能登や熱海、長年の支援活動から見えてきた、被災した子どもたちを取り巻く課題とは。

(提供写真)子どもが伸び伸びと過ごせるよう、能登半島地震の発生直後から設けられた居場所=1月上旬、石川県珠洲市内(カタリバ提供。写真の一部を加工しています)
(提供写真)子どもが伸び伸びと過ごせるよう、能登半島地震の発生直後から設けられた居場所=1月上旬、石川県珠洲市内(カタリバ提供。写真の一部を加工しています)
子どもたちによく見られる変化(カタリバHPより抜粋)
子どもたちによく見られる変化(カタリバHPより抜粋)
(提供写真)子どもが伸び伸びと過ごせるよう、能登半島地震の発生直後から設けられた居場所=1月上旬、石川県珠洲市内(カタリバ提供。写真の一部を加工しています)
子どもたちによく見られる変化(カタリバHPより抜粋)


 どの被災地でも、避難所の設営当初は簡素な仕切りしかなく、隣の人の会話が聞こえるほどの距離感。自宅や家族を失った人もいる。大人も極限の精神状態になる中で、子どもが大きな声を出すと、ほかの避難者から直接怒られたり、「黙らせろ」と保護者が言われるのを見てしまったりする。

 我慢の裏返し
 同法人は石川県内の旧知の団体、教育委員会などと連携して1月上旬と早期から、計7カ所に居場所を開設した。校庭や体育館も危険性や別の用途で、利用が難しいこともあって、毎日子どもたちが訪れている。熱海市での子ども支援を経て、珠洲市内の避難所で児童を中心に支援している板敷悦生さん(28)は「当初よりも段々と遊びが激しくなっていると感じた」と話す。
 損壊した家屋で余震を警戒する暮らし、車中泊、金沢市まで車で往復する―など、特異な環境に身を置き続ける子どもたち。板敷さんは「日頃の我慢の裏返しなのかも」としつつ「別の学校や高校生の友達と楽しそうに交流する姿を見ているとうれしい。また、親の支援という観点でも、子どもの居場所を運営する意味があったと感じることが多い」と話す。
 生活再建に向け、保護者側も高いハードルを越えていかねばならない。あちこちが壊れた自宅の復旧工事の打ち合わせに子どもを同席させてけがをした事例も過去にみられ、子連れでは困難だ。仕事が再開しても子どもを放置して行くことはできない。おねしょや甘えなど心の変化にも直面し、不安がつきまとう。子どもを終日世話しようと奮闘するうち、母親が精神的に追い込まれたケースもあった。

 熱海の現場で
 21年7月3日に熱海市で発生した土石流災害の際、カタリバは静岡市のNPO法人共育ネットを通じて、避難所となっていたホテルに居場所を開いた。保育士を確保できたため、0歳児から受け入れ可能に。保護者支援も兼ね、休日も含め毎日午前9時から午後5時まで運営したところ、20人ほどが集まる盛況ぶりだったという。中には、手洗いの頻度が高くなった子や、強い雨の日、急に「怖い」と言い出す子もみられたという。板敷さんは「現在の能登と同様、送迎の際に保護者からさまざまな相談を受けた」と話す。
 被災した子がごっこ遊びで状況を受け入れようとする「災害ごっこ」も各地でよく見られるという。ブロックで作った家を「地震だ」「津波が来た」などと言ってわざと壊す。能登半島地震では「もう大丈夫だよ」と声をかける子もいて、子ども同士で乗り越えようとしている様子が伝わってきたという。

 「声を届けて」
 被災地の子ども支援は後手になりがちで、板敷さんは「外からだとニーズをつかみにくく、被災地入りして初めて分かることが多い」と指摘する。時差を解消するためには「被災者が直接発信してほしい。遠慮や謙遜などいらない。一刻でも早く動くための根拠になるよう、直接声を届けてほしい」と話す。
 カタリバは過去の支援事例を踏まえて、災害後の子どもの生活ガイドや心のケアの注意点をウェブサイトでも発信している。
 (社会部・大須賀伸江)

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