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再審法改正「超党派の課題」 信念貫いた自民元重鎮【最後の砦 刑事司法と再審㉓第6章 遠き「黄金の橋」①政治的立場違えど】

 〈罪なくして死刑が執行されるという日本裁判史上最大の不名誉を救う道は、御研究中の法律が一日も早く制定される以外にないと信じます〉。後に冤罪(えんざい)と認められる「島田事件」の主任弁護人、鈴木信雄弁護士(1898~1979年)が67年、社会党法務部会部長の神近市子衆院議員(1888~1981年)に宛てた文章は〈お手伝させていただく道があれば本懐でございます〉として、こう続く。〈世論を興すための運動の費用に寄付をさせていただくとか、法務省に陳情するとか、超党派の問題として自民党に呼びかけるとか(自分は自民党の古い所属です)〉
恩師との思い出を語る河村正史弁護士。鈴木信雄弁護士は島田事件の再審開始決定を見ることなく亡くなった=2月27日、静岡市葵区鈴木信雄弁護士
 当時、神近議員らは「死刑囚に対する再審特例法」の制定を検討していた。草案で、既存の再審法(刑事訴訟法の再審規定)は冤罪被害者を救う「黄金の橋」であるべきなのに、現実には「鉄の扉」と化しつつあると指摘。法の全面改正を待つことなく、終戦直後の一定期間に適用範囲を限る形で、死刑囚の再審開始要件を緩和させようとした。
 鈴木信雄弁護士は静岡市議を皮切りに県議会議長まで歴任。国政進出は戦後の公職追放で見送ったが、議員引退後も自民党県連の大物として存在感を示した。
 法相が代わるたびに面会し、島田事件の赤堀政夫さん=2月に94歳で死去=の死刑を執行しないよう求めたとの逸話が残る。「自民の重鎮だった以上に、分け隔てなく話にじっくりと耳を傾け、優れたバランス感覚に信頼感があった。弁護士としても“在野性”を基本に置いていた」。駆け出し時代を鈴木弁護士の事務所で過ごして薫陶を受け、島田事件の弁護団にも加わった河村正史弁護士は、受け継いだ資料を懐かしそうに見返しながら回顧する。
 神近議員とのやりとりが確認できる60年代は、島田事件にとって先の見えない時期だった。幼女を殺害したとして赤堀さんの死刑判決が確定し、その後の再審請求もことごとく退けられていた。政治的な思想が違う2人の協力関係―。在野法曹史に詳しい静岡大の橋本誠一名誉教授は、背景を明確に答えることはできないと断った上で「人間の問題として見れば党派を超えた活動ができると切り分けていたのかもしれない」と推測する。そして、鈴木信雄という人物を「懐が深かった」のだと受け止める。
 神近議員らが最終的に国会へ提出した再審特例法案は、連合国軍の占領下で起訴され死刑判決を受けた7人に適用対象を絞り込んだため、赤堀さんは外れた。
 ただ、政治的な立場の異なる者同士が再審法制の見直しを試みた歴史的事実は色あせない。この問題に対する立法府のあるべき姿を示唆しているが、河村弁護士の目には現在の議員が物足りなく映る。「政治家としての矜持(きょうじ)や哲学が感じられない」
 再審法は戦後一度も改正されておらず、課題は何も変わっていない。「反対勢力が法務省ということも」と河村弁護士。静岡地裁では袴田巌さん(87)の再審が終盤に差しかかり、法の不備にも視線が注がれ続けている。「社会的弱者を切り捨てることは簡単。無関心を装えばいいのだから。だが、それでいいのか」。河村弁護士は投げかける。
 再審法の改正を目指す超党派の国会議員連盟が3月中に誕生する。法改正を求める国会の動きは今に始まったことではなく、関連法案が出されたり盛んに議論されたりした過去がある。しかし、実現には至らなかった。歴史をさかのぼり、生かすべき教訓を探る。

 <メモ>鈴木信雄弁護士は現在の袋井市生まれ。門下の有志が刊行した「鈴木信雄伝」は〈「公職追放」のからみがなかりせば、中央政界で「自民党副総裁」クラスの重鎮となり大いに調整能力を発揮されたことと思う〉と記す。神近市子衆院議員は長崎県出身。恋愛関係のもつれから無政府主義者の大杉栄を刺傷させたとして服役経験があり、議員としては売春防止法の成立などにも尽力した。

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