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下田の海洋調査会社、青森の「三戸城跡」国指定に貢献 

 青森県三戸町にある史跡「三戸城跡」の国指定に貢献したとして、海洋調査や測量を手がける下田市のウインディーネットワーク(杉本憲一社長)が町教委から感謝状を受けた。同社の調査により江戸時代の絵図との比較が実現し、昨春の国の指定に結び付いた。このほど町教委から感謝状を受けた杉本社長は「地域の歴史と文化に光を当てるきっかけづくりができた」と手応えを口にした。

三戸城跡の江戸時代における絵図(上)と、ウインディーネットワーク作成の3Dの地形図。照らし合わせた結果、江戸時代の絵図の正確性も裏付けられた(いずれも三戸町教委提供)
三戸城跡の江戸時代における絵図(上)と、ウインディーネットワーク作成の3Dの地形図。照らし合わせた結果、江戸時代の絵図の正確性も裏付けられた(いずれも三戸町教委提供)
三戸城跡の江戸時代における絵図(上)と、ウインディーネットワーク作成の3Dの地形図。照らし合わせた結果、江戸時代の絵図の正確性も裏付けられた(いずれも三戸町教委提供)
三戸城跡の江戸時代における絵図(上)と、ウインディーネットワーク作成の3Dの地形図。照らし合わせた結果、江戸時代の絵図の正確性も裏付けられた(いずれも三戸町教委提供)
青森県 三戸町
青森県 三戸町
現在の三戸城跡(三戸町教委提供)
現在の三戸城跡(三戸町教委提供)
三戸城跡の江戸時代における絵図(上)と、ウインディーネットワーク作成の3Dの地形図。照らし合わせた結果、江戸時代の絵図の正確性も裏付けられた(いずれも三戸町教委提供)
三戸城跡の江戸時代における絵図(上)と、ウインディーネットワーク作成の3Dの地形図。照らし合わせた結果、江戸時代の絵図の正確性も裏付けられた(いずれも三戸町教委提供)
青森県 三戸町
現在の三戸城跡(三戸町教委提供)


 町教委によると、三戸城跡は、町中心部に位置することが分かっていたが、桜の名所として観光地化され、公園整備により地形も変化していた。正確な測量図面も無く、主要な構造物の位置は長年特定できていなかった。
 同社はかつて、青森・秋田県境の十和田湖に墜落した旧陸軍の練習機を発見した実績があったことから、青森県内で注目され、三戸町が城跡の調査協力に白羽の矢を立てたという。
データ可視化 江戸時代の絵図と一致  調査は2016年度から18年度にかけて実施し、空撮と衛星の画像を撮影、加工する同社独自のシステムを活用。3Dの地形図を作成し測量データを可視化した。画像を幕末の絵図に重ねると、城内の道や土手の形状などが一致し、本丸や石垣の特定につながった。
 町教委によると、史跡の調査は遺構の損傷をいかに抑えるかが課題。史跡対策班の野田尚志班長は同社の技術により損傷を最小限にとどめられたと強調し、「国指定につながっただけでなく、地元住民の関心の促進にもなった」と感謝する。杉本社長は「既存の環境を残したまま地形図を作成する意義は大きい。同様の調査は他でも続けていきたい」と見据える。

 三戸城 1539年に築城された。室町後期から江戸初期まで三戸南部家の居城だったと伝えられる。三戸町教委によると、同家が居城を移してからも役所機能は残り、18世紀中頃までは建物も残っていたが、その後取り壊されたとみられる。城跡の敷地は南北400メートル、東西1700メートルほど、広さは約30万平方メートルに及ぶ。

 

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