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テーマ : 御殿場市

御殿場西高野球部・森下知幸監督が死去 常葉菊川高率い、センバツV 62歳

 2007年春の選抜高校野球大会で常葉菊川高(現常葉大菊川高)を率い、優勝に導いた森下知幸氏(もりした・ともゆき=御殿場西高野球部監督)が16日午後11時39分、大動脈瘤(りゅう)破裂のため伊豆の国市内の病院で死去した。62歳、島田市出身。通夜は20日、葬儀は21日に近親者のみで執り行う。一般弔問は通夜が20日午後4時から6時まで、葬儀は21日午前9時半から10時半まで、清水町伏見639の1、天翔苑で受け付ける。

第98回全国高校野球選手権大会第6日、初戦で秀岳館に敗れたものの笑顔で選手とグラウンドを後にする常葉菊川の森下知幸監督(中央)=2016年8月12日、兵庫県西宮市の甲子園球場
第98回全国高校野球選手権大会第6日、初戦で秀岳館に敗れたものの笑顔で選手とグラウンドを後にする常葉菊川の森下知幸監督(中央)=2016年8月12日、兵庫県西宮市の甲子園球場
打撃指導をする御殿場西の森下監督(右)=2020年、御殿場西高
打撃指導をする御殿場西の森下監督(右)=2020年、御殿場西高
内野ノックを打つ森下監督=2016年、御殿場西高
内野ノックを打つ森下監督=2016年、御殿場西高
御殿場西での初練習で守備の手本を見せ、場を和ませる森下監督(手前)=2016年、御殿場西高
御殿場西での初練習で守備の手本を見せ、場を和ませる森下監督(手前)=2016年、御殿場西高
常葉菊川を率いて優勝した2007年の選抜高校野球大会。試合中、選手に声を掛けてリラックスさせる森下知幸氏=同年3月、甲子園
常葉菊川を率いて優勝した2007年の選抜高校野球大会。試合中、選手に声を掛けてリラックスさせる森下知幸氏=同年3月、甲子園
森下知幸監督
森下知幸監督
第98回全国高校野球選手権大会第6日、初戦で秀岳館に敗れたものの笑顔で選手とグラウンドを後にする常葉菊川の森下知幸監督(中央)=2016年8月12日、兵庫県西宮市の甲子園球場
打撃指導をする御殿場西の森下監督(右)=2020年、御殿場西高
内野ノックを打つ森下監督=2016年、御殿場西高
御殿場西での初練習で守備の手本を見せ、場を和ませる森下監督(手前)=2016年、御殿場西高
常葉菊川を率いて優勝した2007年の選抜高校野球大会。試合中、選手に声を掛けてリラックスさせる森下知幸氏=同年3月、甲子園
森下知幸監督

 関係者によると森下氏は16日朝、出勤したが腰痛と腹痛がひどく早退した。運転して帰る途中に体調が悪化し、車を止めようとして、道路脇の畑に突っ込んだ。事故によるけがはなかったが、搬送先の病院で容体が急変した。
 森下氏は1978年、浜松商高の主将・二塁手として選抜優勝を果たした。指導者としては母校のコーチからスタートし、89年に日大三島高を率いて夏の甲子園に出場した。2002年に常葉菊川高に移り、5年間のコーチを経て06年秋に監督に就任。バントなしのフルスイング打線と堅守、果敢な走塁で高校野球ファンの心をつかんだ。甲子園は春夏通算8度の出場で13勝を挙げた。16年夏の甲子園出場を最後に常葉菊川高監督を退任し、御殿場西高の監督に就いた。

名将森下氏 時代先取り フルスイング打線 静岡野球に光 教え子ら悼む  「野球が大好きで、野球をやっていることが喜び」。その言葉通り、全ての情熱を野球に注いだ。2007年の選抜高校野球大会で常葉菊川(現常葉大菊川)を初優勝に導いた森下知幸氏(御殿場西高野球部監督)が16日、死去した。バントなしフルスイング打線で時代を先取りし、低迷していた静岡の野球界に光明をもたらした。「森下イズム」を受け継ぎ指導者となった2人の教え子が恩師を悼み、思い出を語った。
 07年の選抜優勝時に正捕手を担い、現在母校・常葉大菊川を指揮する石岡諒哉監督(34)は「いつか決勝で戦いたい、認めてもらいたい、その一心だった」と願いがかなわず、言葉に無念さをにじませた。大胆な戦術と選手起用、勝負強さを引き出す雰囲気づくりを「森下マジック」と呼ぶ。バントをしない分、走塁と守備を徹底的に鍛えられた。「森下先生が菊川で作り上げたものは今でも残っている。菊川の良さ、教えを受け継いで指導していくことが恩返しになる」
 ノックの名手でもあり、森下氏の軽快な試合前ノックを楽しみに、来場するファンもいた。16年夏の甲子園出場時に主将で遊撃手だった赤井啓輔さん(25)は森下監督の背中を追い、広島県・尾道高で指導者になった。「ノックは捕れるか捕れないか、ぎりぎりのところに打ってくる。一見簡単に見える打球でも回転のかけ方が違って、捕るのが難しい」と振り返る。
 菊川時代は寮で選手と寝食をともにしたこともあり、「第二の父」と慕う教え子は多い。練習の合間に泥団子をつくって選手とぶつけ合いに興じるような無邪気な一面もあった。赤井さんは、16年春の西部地区大会決勝を前に監督が選手を集めて伝えた言葉が心に残っている。「ここ(球場)に来ている小さな子供たちがおまえたちを見て、野球をやりたいと思うようなプレーをしなさい。勝ち負け以上に見ている人を楽しませなさい」

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