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テーマ : 教育・子育て

炭化米 室町中期の兵糧か 「戦国の波 垣間見える」 磐田・社山城跡から出土 市教委調査

 磐田市指定史跡の社山(やしろやま)城跡(同市社山)で40年以上前に炭化した状態で見つかった米が室町中期の1436~77年の兵糧だった可能性が高いことが1日までに、市教委文化財課の調査で分かった。社山城が16世紀の室町後期や戦国時代に戦乱の舞台になったとする記録はあったが、15世紀代の資料が確認されたのは炭化米が初めて。兵糧が戦火で焼かれたとみられ、同課は「記録よりも早くから城が戦乱に巻き込まれていたことを裏付けている」としている。

室町中期に焼かれた可能性が高い炭化米=磐田市
室町中期に焼かれた可能性が高い炭化米=磐田市


 社山城は標高約130メートルの丘陵地に建っていた山城で、築城時期は不明。現存する文献では、1501~03年に今川氏と斯波氏の遠江守護職を巡る抗争の舞台になったとする連歌師宗長の手記が最も古い記録だった。戦国時代には、徳川家康と武田信玄の遠江支配を巡る争いの場にもなった。当時は天竜川の渡河地点に近い交通の要衝として、重要な軍事拠点になっていたとみられる。
 炭化米は1978年に城跡で出土した。同課が放射性炭素年代測定を行った結果、1436~77年に焼かれた確率が約95%(42~59年だと約68%)と判定された。炭化米は宗長の手記から半世紀前後さかのぼった歴史資料になった。炭化米に大麦の実が混じっていることも確認した。
 文化財課は「室町幕府の治世が乱れ始め、戦国時代に向かっていく波がこの地域にも押し寄せていた様子の一端が垣間見える」と説明する。10日午後に社山関連の講演会が開かれる豊岡中央交流センターで炭化米を展示する。
 (磐田支局・八木敬介)

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