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テーマ : 長泉町

生成AIを学校現場で使うのはあり?⑥ キュレーター/読者の意見【賛否万論】

 生成AIの学校現場での活用の在り方について前回までに寄せられた投稿には、「AIは人間に取って代わるものではない」「他人に聞いてみる機会が大事」と従来の教育の重要性は変わらないという見方がある一方で、「AIと共存しなければならない時代」と捉えて上手な活用方法を習得すべきではないかという視点もありました。今回も引き続きキュレーターと読者の意見を紹介します。


たくさん触れて 正しい活用へ
キュレーター 高木有加さん(長泉町)


 

 

1男1女の母。ママ防災塾マモルマムズ代表。レンタルスペース「ママとこどものヒミツキチmorisbase(モリスベース)」の管理人。ミッションは「孤独な子育て、ダメ、ぜったい。」

   morisbaseに来る子どもたち。小さな子さえも「hey.SIRI!」「Alexa!」と何でも聞いて何でも頼んでいる。話し相手やしりとり相手にもなっている。何でも“Googleからググる”では、もう古いらしい。時代は「タグる」だとか。
 そこに現れた生成AI。私たち大人はそのスピードに振り落とされないよう必死にしがみついてる(または振り落とされてる)というのに、子どもたちは小さな板で情報の波に上手に乗ってしかも楽しそうに、どんどんと遠くまで漕ぎ出しているのを実感する。
 もはや辞書をいち早く引ける能力など不要になり、(分厚い辞書の、一度で目的のページを開けた時のあの快感は、今の子どもたちにはわからないだろうな)WikipediaやGoogleに聞くことすらも時代遅れになり、ここから先は生成AIを「活用」しながら、より大きなチャレンジをする時代となったことを受け入れざるを得ない。
 その「活用」に必要な力が“的確な質問力”と“情報の真偽を見分ける検証力”であることが先の回でも述べられていた。実際にそんな時代を子どもたちはど真ん中で働いて生きていかなければならない。私たちが辞書で味わった快感は“的確な質問力”と“情報の真偽を見分ける検証力”によって想像以上の回答や成果物を示してくれた時の快感に成り変わり、辞書の価値観がもたらした影響(一単語の意味を知る)とは比較にならない影響をもたらしてくれる。
 前回の、教師の残業代とも関わる話だが、人力しかなかった寺子屋時代と違い、ネット時代の教育はもはや、勉強はAIが一定のクオリティーで教え、教師はそれにエピソードや面白さを加えて補完したり、個々の子どもの能力に合わせて微調整したり、多様な子どもが集まるからこそできる体験をサポートする役割になり変わっていくのが新しい時代の教育なのかもしれない。仕事もしかり。
 生成AIを教育に。生成AIは間違いなく武器になる。しかし、武器を持つ戦い方と武器を持たない戦い方と両方が大事ではないか。そして新しい武器を正しく使うためにはその危険性や効果を正しく知ることも大事。そのために学校現場では生成AIに触れる機会をもっと増やしていいのではないかと思う。義務教育の中で、等しく大勢の子どもたちが生成AIを使って失敗を重ねたり成功したり、これには使わないほうが良さそうだねと話し合ったりしながら正しい使い方を身に付けられるといい。
 インターネットは、世界中に開かれた世界。その身近な世界に出る前に。


教育の質を高める道具に
読者 桑原清剛さん(袋井市)

 20世紀後半には、急速に進化した機械技術と電子技術でコンピューターが社会になくてはならない働く機械になり、21世紀にかけて情報技術も加わり、情報伝達機能はスピードと正確性においては人間の能力を完全に超えた。これからもさらに小型化し、対話方式で身近なパートナーとして働き、いつしか支配するという事態が来るとも限らない。しかし、支配するに当たっては人間の得意とする応用能力を超えなくてはならないので、使い勝手を上手にすればしょせん人間が作ったものであるから安心して使える。
 さて、自分はチャットGPTなるものは使用したことはない。もし、学校で難題や課題解決のために対話方式でヒントを得るというようなものであれば、先生がやれば良いことだが、チャットGPTの機能を熟知しないとかえって問題を難しくしそう。今や超忙しいと言われる先生の一助になるには、AIではなく例えば時間単位で先生がカメラの前で授業し、生徒は端末を見て教わることは今や可能である。新型コロナウイルスに影響され、デスクワークのサラリーマンは自宅で朝礼や上司からの指示を受けている。授業もそうすれば同学年が何人いても先生は1人で行うことができるし、質問したい生徒がいれば教室にカメラを1台設置して、そのカメラに向かって質問すれば先生も他の生徒も聞くことができる。
 先生は授業の一部を専門官に依頼する手配師となりカリキュラムの作成や教材の準備をする。専門官はあらかじめ登録制でAIを使い教育方針に従い授業をすることになる。注意したいことは一方通行の授業をしてもらっては困る。中学生なら対応は可能と思われるが便利さだけを追求するよりもデメリットを探し補うことも必須。それこそ前述の授業をした場合にチャットGPTに問いかけてデメリットを見つけ補うことは可能。そのようにして教育の質を順次高める道具として使用すれば良い。


あくまで「補助役」、主役は私たち
キュレーター 寺子屋たっちゃんさん(静岡市)

 

 

私学教育に携わり50年超の人情家。「人は多士済々」。ことし後期高齢者となる
 

 Artificial Intelligence 人工知能と訳されている。あまりの進歩の速さに目をむく。便利と言えば便利。あまりにも便利すぎて、そこには落とし穴が。AIによって作成された文章、絵画、写真、動画などは人の創造した物なのかどうかが、瞬時には判別出来ない。そこにFAKEと呼ばれる紛[まが]い物を創る人が出てくる。私たちはFAKEを見抜く力(知識、知恵)を養成する必要がある。
 と言っても簡単に養成できるものではない。AIを学校現場でつかうのはあり? との問いには、学童(小学生)、生徒(中、高校生)、学生(大学生)の仏教で言う学生期のどこに位置しているかで使い方や教え方が異なると考える。
 社会性の低い高校生まではAIの生成までの経緯、進歩が人間の想像をはるかに超えてしまっている現況をよく語り、教える必要があるだろう。大学生には倫理をベースにAIについて考えてもらう必要がある。AIを利用することは社会の流れ、進歩から、必然のこと。繰り返すがAIの利用時の心構えが最大のポイントになる。
 ドイツ人の哲学者マルクス・ガブリエルは今後の経済は倫理経済でなければならないと指摘。AIを利用する会社、あるいはAIを研究する人々は倫理観を持たねばならないと強く主張。倫理とは国境を持たない正義感、優しさ、利他の心等のこと。全く同感だ。
 AIを利用する者はその歴史を学ぶ必要もあるだろうし、宗教観(信者となることではない)を学ぶことも肝要だろう。学校でAIを教える場合、AIはIA(Intelligent Assisting・知能の補助役)だと教えることが大切。私たちはAIに使われるのではなく、AIを利用するのだという矜持[きょうじ]を持って生きていかなければならないと強く思う。


県内の学校でも実証授業を
 読者 大島宏幸さん(長泉町)60歳

 県教育委員会の教育監のインタビュー記事は、ありきたりな返答の印象を持った。生成AIを積極的に活用することを推進するのか、慎重であるべきなのかの意見が冒頭にあれば良かった。それがないから、どちらとも言えないような、優柔不断な感じがした。県教委が県の教育界を牽引[けんいん]するという気概が感じられなかったことが残念だ。
 9日付の片山善博氏の現論「教員の悩み放置するな」。片山氏は教育委員会を会社の取締役会に例えた。取締役の役割は会社の業務執行に関する意思決定。教育監の塩崎克幸氏の意見からは県の子どもたちの教育をこうしたいという思いが読み取れなかった。生成AIを教育に取り入れるならば、こういう方向性にしたいという意見がほしかった。県教委が方向性を示して、市町教委や校長が具体案を考えるというやり方が組織の在り方ではないだろうか。塩崎氏の意見は、市町教委や校長が検討する内容ではなかろうか。もっと、大所高所で物事を見て意見を出すべきだ。
 例えば、有識者の塩田真吾さんから生成AIのレクチャーを受ける勉強会を開催するとか、活用している学校を視察するなど県教委がやるべきことが多いと思う。わからないことが多いから、自分たちが率先して理解しないと学校での利用の善しあしの判断ができない。教員が生成AIの活用について調べて案を考える時間は、残業でやるから負担を増やすだけになる。生成AIを利用すると時間短縮になる面もあるが、それを調査する時間の余裕が教員にあるのだろうか。
 校長や教員は、積極的に推進するのか、どこかの学校でパイロット的に実証実験をするのか意見を聞きたいだろう。保護者は、教育への影響や不安に感じることを聞きたいだろう。保護者が聞きたいことを質問したら、保護者からの投稿が増えると思う。教員の対応の質問ではなく、子どもたちが生成AIを利用した学びをどのように進めるのかの質問が保護者の聞きたいことではないだろうか。
 県教委の教職員向けのガイドラインは文部科学省のガイドラインの二番煎じのように思える。保護者が生成AIの利用で期待することとガイドラインは乖離[かいり]があるように思う。教育委員会は学校側からの視点のみ考えるのでなく保護者の視点も考えた方が良いと思う。佐賀県立白石高のホームページに佐賀県教委からのお知らせ「家庭における生成AIの取り扱いについて」があった。注意事項の内容は常識的なことが書いてある。学校としては注意喚起をしてますとのアピールだろうか。
 生成AIガイドライン一覧を見ると、企業向け、家庭や学校向けと、ある。ガイドラインを作らないといけないのかが疑問だ。常識的な判断で考えればガイドラインがいらないと思う。茨城県立竜ケ崎一高は生成AIについて学べる「生成AI活用入門」の実証授業があったようだ。静岡県内の公立校もこのような実証授業を始めるといい。


 次回も同じテーマでしずしんニュースキュレーターや読者の意見を紹介します

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