コラム窓辺 浪曲と宣伝戦【中村羊一郎/静岡市歴史博物館長】
浪曲って何? という人が圧倒的に多くなりました。「江戸っ子だってね、すし食いねえ」は、広沢虎造の浪曲「石松三十石船」の一節。このセリフだけは辛うじて生き残っているようですが。私の世代は、ラジオから流れてくる虎造の清水次郎長や子分たちの活躍に心躍らせたものです。
中でも喧嘩[けんか]は強いが子どもにはやさしい、とされる森の石松は遠州秋葉山の麓、森町出身と言われますが、実像はよくわかりません。でも「虎造節と石松のキャラを利用しない手はない」と画期的な宣伝戦を展開したのが森町のお茶屋さんたちでした。人気絶頂の虎造に会いに行き「石松が森町生まれだということを強調した浪曲をぜひともやってほしい」と頼んだのです。
すると虎造は「マクラを作ってくれれば、やってあげよう」と快諾してくれました。マクラとは落語にもありますが、語りに引き込む冒頭部分のことです。「遠州森町よい茶の出どこ」をマクラに入れた石松出生の物語は昭和9年に初演されて大好評、森の茶の名声を大いに高めました。
大正から昭和にかけての頃、日本茶は最大の市場である米国で、英国の紅茶と熾烈[しれつ]な争いをしており、業界では宣伝の重要性が指摘されていました。森町は小さな町ですが、秋葉山に参詣する人でにぎわい、全国有数の古着の集散地でもありました。宣伝の重要性に着目し、ラジオ、レコードと、最新の媒体を活用しようという、まさに時代を読む力が、歴史的伝統の中で培われていたのでしょう。
(中村羊一郎=なかむらよういちろう/静岡市歴史博物館長)