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テーマ : 森町

勇壮「火の舞」闇を照らす 秋葉山の神事、伝統脈々 浜松市天竜区春野町【わたしの街から】

 浜松市天竜区春野町領家の秋葉山山頂に、火伏せの神社として信仰を集めてきた秋葉神社上社は立つ。標高866メートルの社殿からは浜松の街並みや遠州灘まで見渡せる。15、16の両日に行われた「秋葉の火まつり」には、全国から参拝者が訪れた。クライマックスを飾る「火の舞」は、長く一子相伝で受け継がれ、古来の信仰の姿を現代に伝えている。

漆黒の闇の中、本殿から神楽殿に運ばれる神火=浜松市天竜区春野町領家
漆黒の闇の中、本殿から神楽殿に運ばれる神火=浜松市天竜区春野町領家
「火の舞」を奉納する市川寛さん=浜松市天竜区春野町領家
「火の舞」を奉納する市川寛さん=浜松市天竜区春野町領家
浜松市天竜区
浜松市天竜区
漆黒の闇の中、本殿から神楽殿に運ばれる神火=浜松市天竜区春野町領家
「火の舞」を奉納する市川寛さん=浜松市天竜区春野町領家
浜松市天竜区

 16日午後11時前、神楽殿の照明が一斉に暗転した。本殿でたいまつに神火をともすまでの約10分間。身を切るような寒さの中、暗闇に包まれた境内が静まりかえる。その闇と静寂は、たいまつの火によって破られた。参拝者は、一年の厄を炎の筋に焼きはらわれることを願い、勇壮な舞を見つめていた。

photo02 三舞の神事に使われる(下から)たいまつ、剣、弓=浜松市天竜区春野町領家
 秋葉の火まつりは、神を迎える儀式の「御阿禮[みあれ]祭」、神に食物などを供える「例大祭」、舞が奉納される「防火祭[ひぶせのまつり]」の三部に分かれる。三舞の神事は「弓の舞」「剣の舞」「火の舞」の順に舞われる。

photo02 「剣の舞」(右)と「弓の舞」
 舞を担うのが、地元の鎌倉武士の家系を継ぐ3家の末裔[まつえい]。このうち、最後を飾る重責を継ぐのが市川寛さん(58)だ。「小さいころから祖父の舞を見て育ったので、自然に継ぐものだと思ってきた」と市川さんは語る。
 祭祀[さいし]の形は時代とともに変遷してきた。しかし、この舞は変わらずに伝わってきたとされる。河村忠伸権宮司(41)は「舞には密教的神道の呪術的儀式の形がそのまま残っている。市川さんの舞は作為がなく、古式を正しく伝えてくれている」とたたえる。
 祖父と父はともに17年、舞手を務めた。7年前に亡くなった父の遺言は「火の舞だけはやってくれ」だった。市川さんはことし、18回目の舞台に立った。「愚直に務め上げるという思いで毎回舞台に立っている。ただその思いだけです」

社寺参詣の隆盛 秋葉街道に名残
 火伏せの霊山として古くから信仰を集めてきた秋葉山。庶民の社寺参詣旅行が盛んになった江戸時代以降、参詣道となった秋葉街道は活況に湧いた。

photo02 浜松の街並みや遠州灘が見下ろせる秋葉山頂の境内からの眺望=浜松市天竜区春野町領家
 11あるとされる秋葉街道。主なものは、東海道掛川宿から森町を通る道▽浜松宿から鹿島まで北上して光明山を越える道▽御油宿(愛知県豊川市)から鳳来寺に向かい東に進む道▽信州高遠と飯田から南下する「信州街道」-の4ルートとされる。街道筋に備えられた常夜灯は、現在も各地に残っている。
 同町在住の郷土史家の木下恒雄さん(89)は「今よりも火事が多かった時代。自然と火伏せの神への信仰が集まっていった」と隆盛の背景を分析する。
 かつては神仏習合の山深き霊山だった秋葉山。人々は神仏の加護を求めて頂を目指した。木下さんは「この地域には、旅で亡くなった人の墓が各地にある。死出の旅として、来世の救いを求めて来た人もずいぶんいたようだ」と考えている。

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