テーマ : 袴田さん「再審」 最後の砦

イチからわかる「袴田事件」 事件と裁判の経緯を担当記者が解説

 1966年6月30日未明、旧清水市(現在の静岡市清水区)のみそ製造会社専務方から出火し、焼け跡から一家人の遺体が見つかりました。県警は強盗殺人事件として捜査を開始し、同8月、当時30歳だった住み込み従業員の袴田巌さんを逮捕しました。

袴田巌さん
袴田巌さん


「自白」
 袴田さんは日本フェザー級6位にまで駆け上った元プロボクサーです。引退後、みそ会社で働いていました。逮捕後の取り調べは1日平均12時間、最大16時間20分に上り、起訴される直前に「自白」しましたが、裁判では一貫して無実を主張しました。
 1968年の静岡地裁判決は「自白の獲得にきゅうきゅうとして物的証拠に関する捜査を怠った。厳しく批判され、反省されなければならない」と付言しつつ、死刑を言い渡しました。

死刑確定と再審請求
 1980年に最高裁で死刑が確定し、袴田さんは1981年に再審請求しました。この第1次再審には27年もの歳月が費やされましたが、請求棄却で終わりました。袴田さんの姉ひで子さんが2008年、弟に代わって第2次請求を申し立てました。死の恐怖と隣り合わせの拘置所生活で、袴田さんの精神がむしばまれていたからです。
 第2次請求審では、検察官が確定審に未提出の証拠を初めて開示。その数は600点を超え、袴田さんに有利な証拠も含まれていました。静岡地裁は2014年、袴田さんの再審開始を認めると同時に、死刑と拘置の執行停止も決定。袴田さんは48年ぶりに釈放され、故郷の浜松市でひで子さんとの生活が始まりました。
 検察側は再審開始決定を不服として即時抗告しました。東京高裁は2018年、一転して再審請求を棄却しましたが、袴田さんの釈放は維持。弁護団が特別抗告した結果、最高裁は2020年、審理を尽くしていない違法があるとして高裁に差し戻しました。このとき、判事5人のうち2人は「再審を開始すべき」との反対意見を述べています。

再審開始
 差し戻し審で東京高裁は2023年3月、検察側の即時抗告を棄却する決定を出しました。検察側が特別抗告を断念したため、再審開始が確定し、同10月27日に静岡地裁で再審初公判が開かれました。検察側は有罪立証を維持。2024年5月に結審し、夏以降に判決が宣告されると見込まれています。
 (社会部・佐藤章弘)

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