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事件検証 社会に問う冤罪事件の本質/高峰武 熊本学園大特命教授【最後の砦 刑事司法と再審 番外編 公判直前インタビュー㊦】

 1983年に日本で初めて死刑囚から再審無罪となった免田栄さん=2020年に95歳で死去=。釈放後の第一声は「自由社会に帰ってきました」だった。免田さんが亡くなるまで交流を続け、受け継いだ膨大な資料の整理と分析に今なお取り組む元熊本日日新聞記者で、熊本学園大特命教授の高峰武氏(71)は「事件は現在進行形」と実感する。免田さんは社会に何を問いかけてきたのか。

高峰武熊本学園大特命教授
高峰武熊本学園大特命教授

 ―無罪判決後、記者としてどんなことをしたか。
 「一過性の報道で終わらせてはいけない、追跡・検証したい、と思い同僚の甲斐(壮一)さんと『検証 免田事件』を始めた。休まずに、しかもニュースの邪魔にならずに続けられるようにと希望したところ、読者投稿欄で連載することになった。3カ月の予定が半年続き、182回書いた」
 ―免田さん夫妻から資料を受け取った経緯は。
 「事件のことはだいたい書いてきた、という思いが私にも甲斐さんにも会社にもあった。ところが2018年に予期せず『預かってほしい』と相談され、(元RKK熊本放送記者の)牧口(敏孝)さんを加えた3人で資料を読み始めた。そうしたら、今まで知らなかったことが数多くあった」
 ―例えばどんなことか。
 「獄中から家族に宛てた400通ほどの手紙や、第1回公判から死刑判決までの公判調書や証人尋問調書の書き写し。ここには、彼自身が獄中で生きてきた軌跡が具体的に現れていた。獄中で使った辞書などもあった。これは残さなくてはいかんね、と資料集を作ることにした」
 ―免田さんが生涯を通じて問いたかったこととは。
 「米寿のお祝い会のあいさつで、キーワードが二つあった。切り出しが『一番憎いのがマスコミ』で、無実を訴えていたときになぜちゃんと調べてくれなかったんだ、と。もう一つ『再審は人間の復活なんです』と言った。冤罪(えんざい)を晴らすために闘ってきたと思っていたが、人間としての権利をズタズタにされたんだという、もう一段深い思いがあったと気づかされた。免田さんは獄中から出てきた後、年金がもらえないのはおかしいと言い続け、再審無罪判決に対しても異例の再審請求を行った。冤罪事件というだけでなく、人として復活したいという、もっと広い視点で訴えていたような気がする。私はそこに気づくのが遅かった」
 ―ただ、検証を続けることは容易なことではない。
 「当時の連載を振り返ると、やはり問いかけの深さが足りていなかったと思う。逆に言うと、おぼろげながら事件の本質が見えてくるのに40年かかったということ。袴田巌さんの再審をきっかけに、免田事件に光が当て直されるという意味でも、免田事件は生きていると思う。徹底して検証することで、司法全体の問題を問い直しうる。冤罪事件は私たちの社会の実相を逆照射している」
 ―つまりは。
 「例えば、ハンセン病では必要のない強制隔離が漫然と続いた。それを是としたのは国民の意識ではなかったか。水俣病でも、市長や議長をはじめとする“オール水俣”と呼べるような人たちがチッソからの工場排水を止めないよう知事に陳情したことがある。当時の患者は1959年末で79人。市民の多数は工場排水を是としたと言える。まして1個人対国家の構図、しかも重大事件を犯した殺人犯だという国民意識の了解の中で、免田さんの小さな声は届かず、ずっと獄中に置かれてきたような気がしてならない。問われているのは私たちではないか、と思う」
 (社会部・佐藤章弘が担当しました)

 たかみね・たけし 1976年、熊本日日新聞社入社。社会部長、編集局長、論説委員長、論説主幹を歴任し、2020年から熊本学園大特命教授。元同僚ら2人と免田事件資料保存委員会を立ち上げ、活動する。

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