テーマ : 袴田さん「再審」 最後の砦

請求審でテープ開示 響く肉声、実態収録 「どうしようもない」【最後の砦 刑事司法と再審⑯/第4章 我れ敗くることなし④】

 1980年12月に死刑が確定した袴田巌さんは翌81年4月、裁判をやり直してほしいと静岡地裁に申し立てた。控訴審から弁護人を務める福地明人弁護士は「いわば捜査側に“弱点”がある事件。すぐに死刑が執行されてしまう懸念があり、1日でも早く再審請求しなければと考えた」と振り返る。現在でこそ国は再審請求中の死刑執行をいとわないが、かつては執行しない運用をしていた時期もあった。「他の担当事件をほったらかしにしてでも、(袴田さんの)命を救うためにとにかく急いだ」

県警で新たに見つかったとされる袴田巌さんの取り調べ録音テープ
県警で新たに見つかったとされる袴田巌さんの取り調べ録音テープ
テープの入っていた箱(左)には「袴田」と書いてあった
テープの入っていた箱(左)には「袴田」と書いてあった
県警で新たに見つかったとされる袴田巌さんの取り調べ録音テープ
テープの入っていた箱(左)には「袴田」と書いてあった

 〈普通の人から見れば、恐らく死刑囚は過去の者です。死刑囚は社会から隔離され、この世の空気とは全然違う世界と風土の中に自ら身を置いています〉(82年5月の手紙)。袴田さんは死の恐怖と隣り合わせの極限を生きる中で思考を深めていく。〈ところで私には、選挙権がない。デッチ上げが選挙権を奪っているのである。私は人間であって生きてはいけないのか〉(83年6月)。人権とは何かを根源的に突き詰めた。  袴田さんは再審法(刑事訴訟法の再審規定)の欠陥を鋭く指摘する。〈まず必要なものは、再審請求人に対して、国選弁護人をつける事項が盛られなければならない。貧乏人は泣き寝入りする外はないのが、現在の再審法の恐るべき効力。そして再審を請求すると、反省の色が無い、と爪はじきしかねないのが監獄〉(同年7月)。自分だけが救われればいい、という立場は取らない。再審開始の要件を緩和したり、開始決定への検察の不服申し立てを制限したりすることが必須として〈弱者のために闘う私どもの今後の大きな課題〉(85年9月)と強調した。
 80年代、死刑囚の再審無罪が相次いだ。静岡地裁が「島田事件」の赤堀政夫さん(94)の再審開始を決定した86年5月、袴田さんは〈今度司法の正義を受けるのは私の番だ!〉と日記に残している。自身の第1次再審請求審も地裁に係属していたため、余計に期待が膨らんだ。実際、赤堀さんと袴田さんの請求審当時の主任裁判官は静岡新聞社の取材に、袴田さんに無罪の心証を持っていたと告白している。しかし、87年に退官。1次請求審は結局、27年もの歳月を費やしながら2008年、最高裁の棄却決定で終わりを迎えた。  事態が動き始めたのは、第2次請求審に入ってからだった。検察官の手元に眠る証拠の数々が開示され、大きな原動力となった。取り調べの録音テープや、殺害されたみそ製造会社の専務方の消火活動に向かう際に袴田さんが自分の後をついてきた―という同僚の供述調書も明らかになった。
 14年に地裁が再審開始と死刑・拘置の執行停止を決め、袴田さんが釈放されて以降も県警の倉庫で48時間分のテープが見つかった。「やってないものは、やってない。こんなにガリガリやられたんじゃ、どうしようもない」と袴田さんが否認する場面や、警察官が取調室に便器を持ち込む様子のほか、弁護士との接見の盗聴まで収録されていた。
 袴田さんの姉ひで子さん(90)は思う。「全部、巌の言う通りになっている」

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