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「忠魂碑」次代へ継ぐ 郷土の戦死者慰霊 静岡県内有志奔走 保存会立ち上げ、歴史的価値発信

 郷土の戦死者を慰霊する「忠魂碑」。歴史を伝える貴重な史料とされる一方、維持管理の担い手不足などを理由に取り壊す動きがある。終戦から78年が経過し、戦争遺産の管理が課題となる中、静岡県内では市民や学識経験者らが保存会を立ち上げ、戦争の記憶を継承しようと奔走している。

忠魂碑の史料を確認する兼子春治さん=2023年12月下旬、袋井市内
忠魂碑の史料を確認する兼子春治さん=2023年12月下旬、袋井市内
芝八幡神社の境内にある忠魂碑。過去には撤去が検討されていた=12月下旬、袋井市浅羽
芝八幡神社の境内にある忠魂碑。過去には撤去が検討されていた=12月下旬、袋井市浅羽
忠魂碑の史料を確認する兼子春治さん=2023年12月下旬、袋井市内
芝八幡神社の境内にある忠魂碑。過去には撤去が検討されていた=12月下旬、袋井市浅羽

 「忠魂碑は地域に残る数少ない戦争遺産。平和の尊さを伝えるためにも守り続けなければいけない」。保存会の発起人で代表を務める郷土史家兼子春治さん(78)=袋井市=は設立の意義を強調する。自身は戦後の過酷な生活を経験し、叔父を沖縄戦で亡くした。遺族の一人として、戦争の風化を感じているという。
 保存会は遺族会役員や元自治体職員らで構成。3月23日に設立総会を開き、活動を開始する。忠魂碑の歴史的価値を発信するほか、国や県、市町などに保存に向けた要望も行う。
 発足の契機は地元の忠魂碑撤去の動きだった。袋井市浅羽地区の芝八幡神社には、3基が現存する。戦地で命を落とした138人の名前を刻んだ石碑は、一時撤去が検討されていた。兼子さんら有志の働きかけで現状のまま残すことが決まったが、撤去の動きは各地で相次いでいる。浅羽西地区や浜松市天竜区、牧之原市で取り壊された実例があり、全国的にも同様の動きが広がりつつある。
 保存会は県内の戦争遺児や関係団体からも参加する。御殿場市遺族会の外木隆治さん(85)=同市=もその一人。長年忠魂碑を紹介する看板の設置に取り組む外木さんは「二度と戦争を起こしてはいけない。できるかぎり協力したい」と賛同。顧問に就任し、活動の周知に取り組む予定だ。
 日本近現代史を研究する静岡文化芸術大(浜松市中央区)の水谷悟教授によると、軍事施設や爆撃跡といった戦争遺跡の保存は自治体主導の事例が多い一方、忠魂碑は遺族会などに依存しているのが現状という。維持管理の方策の一つとして学校教育での活用を挙げ「若い世代に忠魂碑の意味と価値を伝えた上で、維持のあり方を一緒に考えていくべき」と提言する。
 (浜松総局・仲瀬駿介)

 忠魂碑 明治初期の西南戦争から太平洋戦争までにおける地域出身の戦没者の名前を刻み、慰霊・顕彰する碑。戦前には町村や在郷軍人会が主体となって神社、小学校などの公共の場所に建立され、現在は遺族会などが維持管理を担っている。

 

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