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「安全に犠牲、必要か」 終わらない当事者の痛み【届かぬ声 子どもの現場は今㉘完/第5章 命と責任㊦】

 河本千奈ちゃんの両親は昨年9月5日の事件以降、川崎幼稚園の関係者と10回以上面会を重ねてきた。娘が亡くなった真相を追及し、事件当日の朝に送迎バスを運転した前園長らに直接怒りをぶつけ、責任を問いただすためだった。

1歳になった河本千奈ちゃんの妹。お姉ちゃんの写真にも手が届く=23日、牧之原市内
1歳になった河本千奈ちゃんの妹。お姉ちゃんの写真にも手が届く=23日、牧之原市内

 登降園の管理はずさんに行われていた。千奈ちゃんの不在に気付く機会は何度もあったのに、最後まで放置された。「かもしれない」「だと思う」という言葉を何度も聞いた。会う度に落胆し、幼い命を預かる施設として「プロではない」と思わざるを得なかった。人ごとのような態度を見せる前園長に、千奈ちゃんの父が殴りかかりそうになったこともあった。
 悲しみと憤りが渦巻く日々の中で、一つの考えに思い至った。世の中の安全や暮らしやすさは、世間の注目を集める事件や事故の犠牲の上に成り立ってきたのではないかということだ。
 これまでも悲惨な事件や事故が起きる度に社会が反応し、厳罰化や再発防止策がなされてきた。対症療法のように。そして今、千奈ちゃんの事件を機に、置き去りを防ぐ安全装置が全国の幼稚園などの送迎バスに取り付けられようとしている。
 それも千奈ちゃんの両親は「関係のないこと」と受け止めている。
 「だって、もう最悪の結果になったんですから」
 父はそう言って千奈ちゃんの遺影を見つめた。
 娘が犠牲になってしまった。どれだけ未来の子どものために送迎バスの安全性が高まっても、自分の娘は帰ってこない。社会に取り残されていくような孤独感が容赦なくのしかかる。
 一方で保育現場が過酷な環境にあることも理解している。「自分たちのようなつらい経験は誰もしてはいけないし、保育士の皆さんの大変さも分かる。これ以上、被害者も加害者も出さない社会にしてほしい」。失望感をのぞかせながら、父はそう絞り出した。
     ◇ 
 千奈ちゃんが「お姉ちゃん」としてミルクをあげていた次女は6月、1歳になった。自宅のリビングを所狭しと歩き回っている。
 千奈ちゃんの動画や写真を見せると、うれしそうに笑う。そんな姿に両親は思う。もし千奈ちゃんが生きていたら、姉妹はどんなふうに遊んでいたのだろう。おもちゃを散らかす妹に、千奈ちゃんは「おかたづけ」と優しく教えるのかな。それとも一緒になって散らかして遊んじゃうのかな―。
 次女にあの出来事をいつ、どのように説明すればいいかはまだ分からない。
 ただ、これだけはずっと伝えていこうと思う。
 お姉ちゃんはあなたのことをとてもかわいがっていたんだよ。一生懸命お世話をしていたんだよ―と。
 (「届かぬ声」取材班)

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