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取材班からの提言 戻らぬ命の重み 社会で熟考を【届かぬ声 子どもの現場は今】

 牧之原市の認定こども園「川崎幼稚園」で発生した送迎バス置き去り事件。わずか3歳の河本千奈ちゃんはなぜ、大好きだった幼稚園で犠牲にならなければならなかったのか。幼い命を守る保育現場の安全管理はどうあるべきか。行政や社会、私たちが保育に向き合う姿勢とは―。長期連載「届かぬ声 子どもの現場は今」を終えるにあたり、取材班が各章に込めた思いや考えを提示する。

園児と散歩に出かける保育士。やりがいと負担を感じながら子どもに向き合う=4月下旬、御前崎市
園児と散歩に出かける保育士。やりがいと負担を感じながら子どもに向き合う=4月下旬、御前崎市
送迎バス内を確認し、後部に取り付けられた安全装置のボタンを押す保育教諭=6月中旬、沼津市
送迎バス内を確認し、後部に取り付けられた安全装置のボタンを押す保育教諭=6月中旬、沼津市
園児と散歩に出かける保育士。やりがいと負担を感じながら子どもに向き合う=4月下旬、御前崎市
送迎バス内を確認し、後部に取り付けられた安全装置のボタンを押す保育教諭=6月中旬、沼津市

序章・第1章 千奈ちゃん半生 克明記録・理不尽な現実を自分事に photo02 3月1日1面 photo02 3月5日1面

 A)事件から半年の節目で連載を開始した。千奈ちゃんが置き去りにされた原因は単純ではない。根深い所にある構造的な問題を明らかにしたいと考えた。
 B)千奈ちゃんのご両親とは事件から3カ月ほどたった頃、初めて会った。取材は考えず、こちらの問題意識を伝え、あとは胸中をうかがっていた。面会を重ねる中でやり場のない怒りや悲しみを「知ってほしい」という言葉が出てきて、初めて記事化について具体的な話をした。1章は丸々、千奈ちゃんのことを書いた。ひとりの子どもの命が理不尽に奪われた現実をより多くの人に自分事として捉えてもらうため、誕生の瞬間から亡くなった日の出来事まで詳細につづった。
 C)千奈ちゃんの名前には「実り多き人生になるように」との願いが込められていた。両親の無念さを思うと、絶対風化させてはならない。
 D)連載には最終的にメールや手紙で100件を超える意見が届いた。「涙なくして読めなかった」「憤りが湧いた」「こんな悲しいことは二度と起きないでほしい」と千奈ちゃんや両親に心を寄せる内容が大半だった。多くの読者が共感してくれた。「心情面に偏らず、さまざまな背景を冷静に分析してほしい」という声もあった。
 A)静岡市内の私立保育園の保育士から届いた匿名の封書が印象的だった。悲惨な事件に心を痛めつつ、人手不足や低賃金、休憩もままならない激務など保育現場の苦悩が記されていて「保育士の届かぬ声は誰が聞いてくれるのか」という切実な訴えだった。読みながら、そうした部分にも迫っていかなければとの思いを強くした。 第2章 労働環境改善の訴え切実・幼保一元化で現場は混乱 photo02 4月29日1面
 B)保育現場の実情を探るため保育士や幼稚園教諭らを対象に行ったアンケートから見えてきたのは、子どもの成長に関われることへのやりがいや使命感を感じながらも、負担感が重い現状だった。
 D)アンケートは保育園や幼稚園を介さず、保育者の横のつながりで広げていった。直接聞いたことで、より生の声が拾えたと感じている。
 A)回答者の3分の1に上る保育者が自由記述欄に意見を書いてくれた。労働環境改善への訴えや保育がサービス業化していることへの危機感、人手不足が解消されない国の保育政策への怒り…。たくさんの意見が寄せられ、保育現場から悲鳴が聞こえてくるようだった。
 D)裾野市の認可保育園で、暴行容疑で保育士が逮捕される事件があり、アンケートでは「不適切な保育」への関心も高かった。ただ、連載では牧之原市での送迎バス置き去り事件に焦点を絞った。不適切な保育は許されないが、子どもが亡くなった事実は極めて重いと考えた。
 C)不適切な保育も置き去り事件も、それが生じる組織風土やずさんな安全管理が根っこにあるのは同じだと感じた。現場の保育士だけに責任を押しつけるのではなく、何が本質なのかを社会全体で考えなければ再発防止はかなわない。
 B)取材を通して、こども園について幼保の文化の違いが鮮明になった。国は幼稚園と保育園の両方の良さを併せ持つ施設としてこども園化を進めているが、現場は苦慮している。出欠確認一つとっても保育園部と幼稚園部で意識に違いがあった。保育園部と幼稚園部の園児が園で過ごす時間が異なることによる園児への配慮も求められていた。
 E)親の就業状況にかかわらず、同じ施設に預け続けられるこども園への移行は、待機児童対策だった。幼保を一元化するというと聞こえはいいが、二つの違う文化が交わるのだから、本来その交わり方をちゃんと国が責任を持って考えなければならなかった。2015年の子ども・子育て支援新制度で本格導入されてから8年が経過しても、現場が混乱している状況を国はどう見ているのか、問いたい。 第3章 多様な働き方に理解 必須・安全最優先の事業経営を photo02 5月28日1面
 D)県東部の小規模保育所で、有給休暇の取得を巡って園長が声を荒らげたり、説明なく保育士のタイムカードの勤務実績を短く書き換えたりしていた問題が発覚した。
 A)小規模保育所は家庭的な雰囲気が特徴とされるだけに、ほど遠い状況に言葉が出なかった。幼稚園や保育園の家族経営にはメリットとデメリットの両面があるが、悪い部分が出てしまった一例だった。
 E)園長は反省を見せつつ、多様な働き方を尊重する考え方が「理解できなかった」と語った。正直な気持ちなのだろう。
 D)記事掲載後、「うちにも似た状況がある」という意見がいくつも寄せられた。多くの施設で現場の保育者が泣き寝入りしているのかもしれない。
 A)賃金の処遇や有給休暇の取り方などの基本的なワークルールを使用者側がよく理解していない場合も多いと労働関係機関の担当者は話していた。世間的には非常識なことを常識と思い込まされ、“狭い世界”に閉じ込められてしまっている保育者がいるとすれば、社会的損失といえるだろう。
 E)保育政策に詳しい東京大名誉教授の汐見稔幸さんは「保育者は人を育てる仕事だから、質の高い文化に触れる機会が日常生活に必要。長期休暇を取って異文化に触れるくらいのゆとりがあっていい。保育に生き、保育の質の高さにつながる」と話した。国をはじめとする行政や経営陣、施設長レベルはこうした考えを理解すべきだ。
 A)物を言えない環境は川崎幼稚園にもあった。内情を知る関係者によると、運営法人が幼児教育や保育の分野だけでなく幅広い年代に関わって事業化していく構想を描いていたことが分かった。理解を示す声もあったが、日々の仕事に腐心する現場にとって、上層部の言動は“経営最優先”と映り、意見を言いにくい雰囲気につながっていったことが浮かんだ。
 C)急速に進む少子化を踏まえ、事業を広げて経営を安定化させることは、保育以外でも多くの経営者が考えることだろう。ただ、それは職員の労働環境や、現場の安全管理を優先することが大前提になる。現場の関係者の声なき声は、警鐘を鳴らす上でも意義があった。 第4章 閉鎖的業界外 部の目必要・「子ども第一」親も考えて photo02 6月13日1面
 B)現場を中心に問題点を洗い出した前章までの流れを受けて、行政の制度などに視野を広げて保育施設が内包している構造的な課題を指摘しようと試みた章だった。多くの保育士が現状の仕組みに不満を抱いていることを裏付けたアンケート結果が大きい。
 D)複数の園長が業界の閉鎖性を自虐的に口にしていた。閉鎖空間では、慣習が社会の価値観とずれてしまうことがある。緊張感をもたらす監査や第三者評価など外部の目は、事故を防ぐために必要。ただ、監査や第三者評価の仕組み自体にも改善の余地が大きいことが浮き彫りになった。
 C)実際、定期監査では川崎幼稚園の安全管理は見過ごされていた。監査で重視するのは法令に準じた最低基準をクリアしているかどうか。保育の質に着眼した第三者評価制度はもっと利用されていいと思うが、認定こども園の評価基準はない。第三者評価制度の浸透は安全管理の底上げにつながるはずで、後ろ向きな国の姿勢に疑問を感じる。
 D)指定管理などで保育施設の民営化が進んだ今、行政当局を監視する議員の役割も重要だ。行政と事業者の距離が近すぎると安全管理や職場改善に油断が生じかねない。読者の反響の中に「行政と事業者は父権的関係」と表現したメールがあった。運営法人の周辺取材では、上層部と市政との近さを示すエピソードが複数、集まっている。
 E)「日本の幼児教育の父」と呼ばれる倉橋惣三は「親切心」を幼児教育の要諦として掲げた。この言葉の意味は重い。経営層や施設長は特にかみしめてほしい。
 A)子どもは宝と言いながら、これまで社会がどれだけ保育に心を寄せてきただろうか。施設内では経営側と職員が子ども第一で意見を言い合い、安全を高めていける環境づくりが大事だが、同様に、保護者や社会の側も子どもたちの現場に目を向けて、どうしたら本当に子ども第一が実現するかを考えたい。互いに目配りしながら皆で子どもの成長を見守っていける社会が理想だ。 第5章 前園長の怠慢 意識低さ露呈・送迎バス内も保育の時間 photo02 6月28日1面
 C)千奈ちゃんはなぜ送迎バスに置き去りにされたのかをもう一度振り返り、大人が守るべき命とその責任について考えた。
 A)事件が起きる約3カ月前に千奈ちゃんの父親が偶然撮影した動画には、バスが停車しても座って待っている千奈ちゃんの様子が捉えられていた。誰か一人でも千奈ちゃんの存在に気付き、「降りようね」と一声を掛ければ事件は起きていなかった。
 D)普段の運転手は千奈ちゃんらを降ろし、忘れ物をチェックしたり車内を掃除したりしていた。事件当日は臨時で前園長が運転し、これらの業務を怠った。送迎バスも含めた園全体の安全管理を担うべき園長が、意識の低さを露呈した。
 C)教室でも担任や副担任は、千奈ちゃんがいないことに気付きながら保護者や同僚への確認をしなかった。朝の会や身体測定、給食など、確認のタイミングはいくつもあったのに、ことごとく放置した。
 E)川崎幼稚園は、幼い命を預かっているという意識が乏しかったのではないか。前年に福岡県中間市で起きた同様の事件を受け、国から安全管理の徹底を求める通知が出ていたにもかかわらず、危機管理マニュアルを見直していなかったことからも明らか。「起こるべくして起きた」と話した千奈ちゃんの父親の言葉は重く、反論のしようがない。
 B)国は今回の事件を受けてようやく、送迎バスへの安全装置の設置と園児の所在確認を義務化するガイドラインを示した。もっと早く対応していれば悲劇が繰り返されることはなかったのではないかと思うと、憤りを覚える。
 A)取材で訪れた沼津市の認定こども園は「バスは動く幼稚園」との意識を共有し、乗務員がバスの中で過ごす時間を子ども目線で考えて接していたのが印象深かった。国は送迎バス内の時間も「保育の時間」と位置付け、保育の専門性が分かる人が関わる仕組みを整えるべきだ。

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