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静岡から能登へ 石川県関係者メッセージ


 石川県能登半島地震の発生から2カ月。被災地では、現在も1万人以上の方が避難生活を余儀なくされ、断水の解消や仮設住宅の建設も道半ばです。一日でも早く日常生活を取り戻すためには、インフラの復旧とともにメンタル面でのサポートも欠かせません。なじみある被災地へ思いを届けようと、静岡県内で暮らす石川県出身者やゆかりのある方々から寄せられたメッセージを紹介します。
能美市出身の看護師山田淳美さん(57)=藤枝市=「震災翌日に訪問看護師が事務所で利用者さんたちと不安な夜を過ごしたニュースを見ました。利用者の皆さんはどんなに心強かったでしょう。医療福祉関係の皆さん、体調を崩さないでくださいね」
輪島市出身の教員前翔哉さん(29)=富士市=「帰省した際に地震を経験しました。静岡に戻るまでに、避難所などで輪島の人たちの温かさを何度も感じました。復興への道は険しいですが、能登に生きる人たちの力強さを私は信じています」
羽咋市出身の主婦青木真弓さん(68)=静岡市清水区=「結婚し静岡に嫁ぐ時には東海地震を心配されたが、先に石川県で大地震が起きてしまいました。実家や友人は『奥能登に比べたら被害は少ない。エールをもらい頑張る』と言います。早く日常が戻るよう願います」
白山市出身の主婦中西紀美枝さん(81)=磐田市=「20代に3年間住んだ能登町宇出津(うしつ)。娘3人と散歩した宇出津の港に津波が来たニュースには心が痛みました。お世話になった方は金沢へ2次避難したと連絡をもらい一安心です。きれいな九十九湾や荒々しい曽々木海岸。必ず復興すると祈っています」
能登町出身の公務員吉尾靖子さん(60)=静岡市葵区=「帰省中に被災しました。高齢の母がいるので、帰省中で本当に良かったと思っています。避難所では、食べ物を分け合ったり悩みを聞いてもらったりと、人の情けが身に染みました。担当者には本当にお世話になりました。復興への見通しが持てず不安に思う方も多いと思いますが、少しでも平安な気持ちが持てるようお祈りします」
七尾市出身の会社員横井香織さん(34)=同区=「幼少期を過ごし、昨春にも訪れた珠洲の惨状に胸を痛めています。多くの人に珠洲の魅力を伝えるため、長期戦で関わりを持ち続けていきます。たいそい(しんどい)ときは我慢せんとおらな」
七尾市出身の大学生間蔵裕亮さん(21)=静岡市清水区=「正月は実家に戻って、家族で集まっていました。まさか、自分自身も災害を経験するとは思いもしませんでした。大変な状況の中に家族もいて、地域には若い人も少ないので、本当に残りたかったです。今は自分のできる支援を考えていきたいです」
川北町出身の大学生野村美羽さん(21)=同市駿河区=「小学6年生の時に修学旅行で行った輪島の朝市。地元の方々の優しさやおいしい干物、町並みの美しさが今でも印象に残っています。元旦は私自身も帰省中で、揺れが来たときはとても怖かったです。輪島市の報道などを見て悲しい気持ちになりました。募金など自分ができることを少しずつ行いながら、希望を捨てず、ともに復興に向けて歩んでいけたらいいなと思っています」
金沢市出身で伊豆市地域おこし協力隊の奥勇太朗さん(30)「『能登はやさしや土までも』。教師として珠洲で暮らした7年間、この言葉を実感しました。私は能登が大好きです。能登に住む人たちもまた、能登が大好きなことを知っています。だからこそ、いつの日か、もう一度みんなで、思いっきり祭りをやりましょう。伊豆の地から応援しています」
珠洲市と交流を続ける富士宮駅前商店街振興組合理事長の増田恭子さん(74)「15年ほど前、珠洲市飯田町のおかみさんたちに富士宮やきそばの作り方を教えに行き、それ以来、3カ月に1回、約100食分の焼きそばセットを送ってきました。窓口の今井商店さんを通じ、今も奥能登の名産品を店に置かせてもらっています。困っていることがあれば頼ってほしい。連絡を待っています」

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