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シベリア抑留 遠のく慰霊訪問 静岡県内遺族「父に起きた悲劇、後世へ伝える」

 終戦後、旧ソ連によるシベリア抑留で過酷な生活を強いられた人々の遺族は近年、慰霊のための現地訪問が事実上できなくなっている。新型コロナウイルス禍に続き、2022年に始まり今なお続くウクライナ侵攻が影を落とす。戦後79年目を迎え、静岡県内でも遺族の高齢化が進む。「最後の親孝行がしたい」。抑留体験者の2世らは、過去の悲劇と向き合い続けている。

シベリア抑留の過去を記した父の文書や写真を見つめる森下和代さん=昨年12月下旬、浜松市天竜区佐久間町
シベリア抑留の過去を記した父の文書や写真を見つめる森下和代さん=昨年12月下旬、浜松市天竜区佐久間町

 浜松市天竜区佐久間町の森下和代さん(71)は父西野安次さん(享年92)が抑留体験者。父が若い頃に過ごしたシベリアの空気や土地を知りたい思いが年々膨らんでいる。しかし、ロシアへの直行便は運休中で慰霊訪問の見通しは立たない。ロシアとウクライナの休戦を待つのみだ。
 西野さんは捕虜としてハバロフスク地方の強制収容所(ラーゲリ)などで約3年間過ごした。氷点下30度の世界の中、のこぎりで丸太を切る作業や建築作業などの重労働に従事した。身長約170センチの西野さんの体重は65キロから32キロまで落ち、約3カ月の入院生活も送ったという。西野さんは生前、「仲間の眠っている場所(シベリア)へ行きたい」と森下さんに伝えていた。年を取るにつれて、抑留の体験を口にするようになったが、再訪はかなわなかった。森下さんは「父を連れて行けず、後悔している」とうつむく。
 現地の慰霊訪問が難しい中、全国強制抑留者協会県支部は昨年、4年ぶりにシベリア抑留犠牲者の慰霊祭を富士市中島の県抑留犠牲者慰霊碑「平和の礎」で開いた。抑留体験者1人と遺族ら約20人が集まった。
 同支部の事務局長を務める望月文恵さん(69)=富士市=はシベリアへ訪れた経験はないが「いつかは行きたい」と考えている。現在は抑留体験者の父寅雄さん(享年83)の悲劇を多くの人へ伝えようと、子どもや知人にシベリア抑留をテーマにした映画を紹介している。望月さんは「抑留の過去を忘れないために、できる限りのことを尽くしたい」と話した。
「できる状況ではない」ロシア周辺国で実施  一般財団法人全国強制抑留者協会(東京)は「ウクライナ侵攻が続く中、ロシアへ慰霊訪問できる状況ではない」と強調し、近年はロシア周辺国の旧ソ連の強制収容所や墓地などを巡る慰霊訪問を実施している。
 同協会は2022、23年にカザフスタン、ウズベキスタン、モンゴル計3カ国へ慰霊訪問した。今年はウズベキスタンとモンゴルへ訪問するツアーを予定している。同協会の吉田一則事務局長は「戦争が行われている国へ入ることはできない。平和を願う慰霊訪問に込められた思いとは異なる状況で非常に残念」と話す。
(水窪支局・大沢諒)
 シベリア抑留 第2次世界大戦終結後、旧ソ連は国の復興に必要な労働力として、日本兵や民間人約57万5千人を捕らえ、シベリア・モンゴル地域の強制労働収容所に移送した。日本兵らは道路、建物の建設、農作業など重労働に従事した。厚生労働省によると、約5万5千人が抑留生活中に飢えや伝染病などで亡くなったとされている。このうち静岡県出身と判明しているのは1312人(1月12日現在)。1946年末から抑留者の帰還が始まり、56年に最後の抑留者が日本へ到着した。戦後は強制収容所の未払い労賃が問題視され、日本政府は元抑留者に特別支給金を贈った。

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