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#ピンクリボン月間 自分の体、知って守って【NEXTラボ】

 日本人女性の9人に1人が発症するとされる乳がん。40代後半から急激に罹患[りかん]率が高まるが、20代や30代でかかるケースもある。10月は乳がんの早期発見・治療を呼びかける「ピンクリボン月間」。若年性乳がんを経験した県内の女性の話から、いま一度、自身の健康に目を向けたい。

20代でも乳がんに 浜松の青木朱那さん 日記を見返しながら、闘病の経験を語る青木朱那さん。「家族や友人たちが味方になってくれて、ここまで来られた」と笑顔で話す=9月下旬、浜松市内
 浜松市北区の青木朱那[あやな]さん(29)は、助産師を目指して大学院に通っていた23歳の時、両胸に乳がんの診断を受けた。最初に異変を感じたのは19歳の頃。ブラジャーの右側に小さなほくろ程度の血がつくことが時々、あった。二つの病院を受診し、エコー検査や触診を受けたがしこりなど異常は発見されず「若いので、ホルモンの影響かも」(医師)と経過観察になった。
 その後も出血は度々あった。23歳の時には頻度と量が明らかに増え、両胸から出るようになった。再び複数の病院でエコーやマンモグラフィー検査を受け、最終的に、組織の一部を採取して調べる針生検を経て診断がついた。「まさか、自分が」と目の前が真っ暗に。「一人ではきっと立ち向かえない。一緒にスクラムを組んでもらう味方が必要」とすぐに友人や恩師に連絡を取った。
 治療はすぐに始まった。部分切除の手術を受け、左胸の腫瘍は取り切れたが、右胸のがんは乳腺に沿って広がっていた。再び部分切除をして放射線治療をするか、全摘手術を受けるか―。選択を迫られた。与えられた時間は1カ月。主治医からは「たくさん悩んで決めてほしい」と言われた。
 図書館で医学書を読みあさり、看護師の友人やクリニックの医師と会い、「とにかく動いて、悩み抜いた」。患者会にも足を運んだ。出した答えは右胸の全摘。「がんを取り切って、100歳まで生きる」と自分で納得し、決めた。
 手術前は「想像がつかなかった」が、「自分の体の一部がなくなったことが悲しかった」。次第に「もう恋愛や結婚はできない」という諦めの気持ちも湧いた。手術の翌月からは1カ月間、毎日、左胸の放射線治療に母親と通った。
 診断後も治療中も、自分を奮い立たせるために、周囲に明るく前向きに振る舞っていた。だが、治療が一段落すると気持ちが沈み、自宅から出られない日々が2カ月続いた。「体は回復しても、心が追いついていなかった」
 1年間の休学を経て大学院を修了後、25歳で助産師として病院で働き始めた。ホルモン剤を服用する治療が続いていたため、のぼせやほてり、動悸[どうき]などの症状があったが、同僚と同じように夜勤もこなした。
 「やっと助産師になれた」という喜びややりがいを感じると同時に、授乳介助などの時には「自分はもう母乳は出ないんだな、と複雑な思いもあった」と明かす。一方、病院では乳がんを経験し出産した人たちとも出会った。「すごくうれしく、自分にとっても励みになった」
 昨年、ホルモン剤の服用を終え、現在は経過観察のために1年に1回、通院する。夏には結婚と引っ越しを機に、勤めていた病院を退職した。今後は助産院でのお産に関わりつつ、「さまざまな人たちが命について語り合える場をつくってみたい」と考えている。
 乳がんの経験を経て伝えたいのは「それぞれが、自分自身をもっと知り、優しい目を向けてほしい」ということ。「体や心についておかしいな、と思えるのは、普段の自分を知っているからこそ。何かあれば食生活や睡眠に気を配ったり、受診をしたり。自分を守れるのは自分しかいない」と訴える。

乳房意識する習慣を 県立静岡がんセンター 西村誠一郎乳腺外科部長 プレスト・アウェアネスの四つのポイント 西村誠一郎県立静岡がんセンター乳腺外科部長  AYA世代(15~39歳、思春期・若年成人)の乳がんの現状や課題について、県立静岡がんセンターの西村誠一郎乳腺外科部長に聞いた。

 乳がん患者全体のうち、39歳以下の患者は5%ほど。マンモグラフィーによる住民検診は40歳以上が一般的で、千葉県浦安市など30代のエコー検診を実施する自治体も一部にあるが、若い世代が検査を受ける機会は少ない。
 「20代、30代は乳がんにならない」という思い込みもあり、受診した時には、病状が進行しているケースも多い。乳房が張りやすい妊娠・授乳期は発見が遅れやすく、注意が必要だ。
 乳がんの5~7%は遺伝性と言われている。BRCA1またはBRCA2遺伝子に変異がある「遺伝性乳がん卵巣がん症候群」は、若い年齢での発症が比較的多い。
 若い世代の受診のきっかけは、しこりや、脇に近い部分の張りや鈍痛、乳頭からの血性分泌物など。良性腫瘍などの場合もあるが、気になる症状があれば、乳腺専門医か乳腺認定医のいる医療機関を受診してほしい。
 自分の乳房を意識する生活習慣を「ブレスト・アウェアネス」と呼び、すべての女性に知ってほしい。着替えや入浴の時などに見たり触ったりして普段の乳房の状態を知っておけば、変化に気付きやすくなる。
 AYA世代には就職や結婚、出産などさまざまライフイベントが訪れる。がんの診断を受けた若者の恐怖や苦悩は計り知れない。当事者がつながり、語り合う機会がもっと必要で、自らもそういった場づくりを進めていきたいと考えている。

20、30代の経験者が交流会 熱海のNPOオレンジティ 20、30代でがんを経験した女性たちの交流会「オレンジブロッサムカフェ」。オンラインで月1回開かれる(オレンジティ提供)  女性特有のがんの患者を支援する認定NPO法人オレンジティ(熱海市、河村裕美理事長)は、20、30代でがんを経験した女性たちの交流会「オレンジブロッサムカフェ」を開いている。治療や仕事、恋愛など目の前にある悩みについて同年代で語り合いつつ、10年先、20年先を生きる「ロールモデル」の経験談を聞ける場にもなっている。
 カフェは現在、毎月第1土曜にオンラインで開く。新型コロナウイルス禍以前に行っていた対面での交流も本年度から一部、復活させた。中心的に運営するのは当事者でもある植木朋子さん(38)=富士市=と中野季里子さん(47)=浜松市=。ファシリテーターは看護師の女性が担当する。
 「言いっぱなし、聞きっぱなし」をルールとし、それぞれの体験や思いを共有する。オレンジティの先輩スタッフらが、リンパ浮腫などの後遺症との向き合い方や、年齢を重ねての体の変化など自身の体験についても伝えている。
 「AYA世代(思春期・若年成人)は治療後の人生が長い。少し先の生活も思い描ける場になれば」と植木さん。中野さんは「自分自身、将来への不安や孤独を抱えてきた。互いに話すことで、少しでも心を軽くしてほしい」と呼びかける。2人は「カフェの雰囲気を伝えたい」と毎月第1金曜、オレンジティの公式インスタグラムでインスタライブも配信している。
(生活報道部・大滝麻衣)

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