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テーマ : 川根本町

大井川水力発電所慰霊塔 過酷な工事 伝える責務【記者コラム 黒潮】

 川根本町民から「大井川水力発電所(同町崎平)へと続く導水管工事で亡くなった方の慰霊塔が山中にある」という話を聞いた。地図上に記載はなく、存在を知る人もほとんどいないという。話をしてくれた町民と共に、慰霊塔を目指して山に入った。
 同発電所は、大井川ダムや寸又峡ダムなどから地下にある導水管を通じて集めた水で発電を行う。1936年10月に約2年の工事期間を経て運用を開始し、現在は中部電力が管理する。
 慰霊塔は同町千頭から2時間ほど登山道を進んだ山肌にあった。高さ1メートル50センチほどの平たい石で、正面に「慰霊塔」、裏面に「昭和十一年(1936年)十一月建」とだけ記されている。位置を地図上で確認すると、大井川発電所の導水管と重なった。慰霊塔に続く道は気を抜けば滑落しそうなほど荒廃していた。建立から87年。どれだけの人がこの地を訪れ、手を合わせただろうか。
 川根本町史をひもとくと、電力会社と村の協定書や工事を伝える新聞記事、期間中の晴天を祈願する祭りなど当時の資料が残されている。従事した労働者の証言もあり、「仕事が仕事だったのでけが人や死ぬ人がでるのはあたりまえ。頭の上から突然大きな石が落ちることもあったし、水がどおっと流れ出すこともあったし、ハッパ(発破)の振動でいきなり岩が崩れることだって毎日のようにあった」(一部抜粋)と過酷な状況を伝えている。
 同じく「昭和十一年十一月建」と刻まれた慰霊塔は同発電所敷地内にもある。背面には「大井川発電所建設工事殉職者」とあり、45人の名前が刻まれている。
 二つの慰霊塔の関係性について記されている資料はなく、中部電力や町役場で尋ねても詳細は判然としなかった。町民で知っている人も一握り。歴史の中に埋もれてしまったのかもしれない。
 前述の労働者の証言は「後世代に必ず伝えてほしい」との文言から始まるが、現在まで地域で伝承されてきたとは言いがたい。慰霊塔の存在や過酷な工事の状況、犠牲になった人々がいたことを、いま一度後世に伝えていく必要があるはずだ。
 (島田支局・白鳥壱暉)

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