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大自在(11月24日)鷹狩り

 最初の「肉食禁止令」は675年に出されたと日本書紀は記述する。仏教思想もあって、日本では明治の文明開化まで表向き獣肉を食べなかった。ウサギを1羽、2羽と数えるゆえんとされるが、異説もある。
 一方、上流社会では鳥や魚はよく食べられていた。美味な「三鳥五魚」のさばき方が室町時代の文書に伝わる。三鳥はキジ、ツル、ガン。野鳥は四本脚の肉より上品な食材とされた。ちなみに五魚とはコイ、タイ、マナガツオ、スズキ、フナ。
 野鳥は鷹[たか]狩りの獲物だった。徳川家康の鷹狩り好きはよく知られる。健康維持や所領巡視のためだけでなく、鷹や獲物の贈答による支配システム維持を図ったとされる。
 鷹狩りが江戸幕府の年中行事になると、将軍自らの鷹狩りは「鶴御成[つるのおなり]」と呼ばれ、最高の権威とされた。獲物にも階級があり、最上位のツルは朝廷に献上された(菅豊著「鷹将軍と鶴の味噌汁」)。
 駿府城(今の静岡市)から全国ににらみをきかせた大御所家康は、たびたび田中城(藤枝市)を拠点に鷹狩りをした。その縁できのう、同市蓮華寺池公園で開かれた「実演イベント」で鷹の鳴き声や羽音を聞いた。鷹は、会場の両隅にいる「駿府鷹狩協会」の鷹匠の腕から腕へ、それほど高くない空中をほぼ一直線に移動した。
 勢子[せこ]に追い立てられて飛び立った獲物に鷹を向かわせる技法「合わせ」がイメージできた。放った鷹が獲物を捕らえるのは、射た矢が的中する以上にうれしかったのではと想像した。百聞は一見にしかず。いくつもの理解不足に気づかされた。

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