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テーマ : シニア・介護・終活・相続

DWAT誕生、広がる志 静岡でも創設、そして能登へ【つなぐ災害福祉 東日本大震災13年㊥】

 「ストップ孤立・支え合い 地元力再生の橋渡し」。東日本大震災後、岩手県内の職能団体による派遣システムで支援に入った福祉関係者の活動スローガンはそのまま岩手DWAT(災害派遣福祉チーム)の基本理念となった。2013年、本格的なチーム創設に向け、岩手県社協の加藤良太さん(50)は活動マニュアルやチーム員養成プログラムの整備を任された。

岩手DWATと活動する静岡DWAT隊員(左から2人目)=2018年7月、岡山県倉敷市(静岡県社会福祉協議会提供、写真の一部を加工しています)
岩手DWATと活動する静岡DWAT隊員(左から2人目)=2018年7月、岡山県倉敷市(静岡県社会福祉協議会提供、写真の一部を加工しています)
岡山県倉敷市
岡山県倉敷市
岩手DWATと活動する静岡DWAT隊員(左から2人目)=2018年7月、岡山県倉敷市(静岡県社会福祉協議会提供、写真の一部を加工しています)
岡山県倉敷市

 加藤さん自身、震災で活動した経験はなかった。2011年の発災当時は、盛岡市に隣接する矢巾町の重度心身障害者施設の職員。「何もできなかった」との後悔があった。「復興支援に携わりたい」と施設を退職し、12年3月に岩手県社協に転職した。震災直後から汗を流してきた福祉関係者の思いや経験をくんでマニュアルや研修を組み立てることを心がけた。
 「デイサービスが施設ごと避難している」「発達障害の親子が車中泊をしている」…。研修は震災の実例を踏まえ、図上訓練で対応を考えていく。「地域の中でかろうじて自立していた人からまず、孤立する」と加藤さん。災害で福祉課題が顕在化する被災者を取りこぼさず把握していくことが重要な役割の一つだ。
 16年の熊本地震が岩手DWATの初派遣となった。静岡県でも福祉チーム創設に向けた動きが加速したのはそのころだ。県社協職員や有識者らによる作業部会は、先進地を視察し、活動や研修の在り方を模索していた。静岡県社協の松浦史紀さん(45)は「実際の派遣を想定した岩手の訓練がリアルで魅力的だった」と記憶する。講師を務めていた加藤さんのDWATに対する熱意にも圧倒された。
 被災地に寄り添い、被災者の自立を促進する―。複数県のマニュアルを総合して検討し、完成した静岡版だが、活動の最も重要な指針となる「基本的な心構え」は岩手から学び、受け継いだ。17年に1期生として41人の登録員が誕生した。
 静岡DWATの初活動は18年7月の西日本豪雨。岡山県倉敷市の避難所支援を、岩手DWATから引き継いだ。当時は全国的な派遣体制がなく、加藤さんが各県の調整役を担った。派遣前の打ち合わせで、静岡に求める人材や活動を的確に指示する加藤さんに「先駆者としての力量を感じた」と松浦さんは感服したという。
 西日本豪雨での活動で周知が進んだDWAT。1月1日の能登半島地震は、全国的な派遣体制ができて初めての大規模災害だった。20以上の都道府県チームが石川県内各地で活動する日もあり、派遣と受援に混乱が生じた。災害関連死を防ぐという目的こそ共通だが活動内容や手順には、ばらつきもあった。活動の標準化や初動の強化が必要―。「支援に入ったみんながそう気づいたはず」と加藤さん。一方で、志賀町で活動していた静岡チームは、地元への“橋渡し”の課題にも直面していた。

 <メモ>静岡DWATの登録員は3月現在、305人。独自に「移送支援」を活動に入れている。2018年の西日本豪雨で岡山県に初めて派遣され、21年の熱海市伊豆山の大規模土石流では53人が活動した。能登半島地震での派遣は過去最大規模で、1月8日~3月1日に61人が1.5次避難所や石川県七尾市、志賀町に支援に入った。4月以降、奥能登地域で活動を再開する見通し。発足した17年当初は、福祉の「ケア(Care)」にちなんで「静岡DCAT」との名称だったが、20年に「静岡DWAT」に変更した。

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