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伊東の津波犠牲者 住民が供養 「災害忘れず備える」決意 関東大震災100年

 関東大震災の発生から100年が過ぎた2日、伊東市物見が丘の仏現寺で地元住民による供養祭が営まれた。相模トラフ沿いで想定される最大クラスの地震で、沿岸部各地に十数メートルの津波が襲来する可能性がある同市。関係者は「過去の災害を忘れずに、日頃から震災に備える」と決意を強くした。
供養塔の前で犠牲者を追悼する参列者=2日午前、伊東市の仏現寺
 「九月一日ヲ忘レルナ」。同寺境内に建つ関東大震災供養塔の1基には、上部に大きな文字が刻まれている。震災で津波被害を受けた旧伊東町では84人が犠牲になったとされる。塔は震災翌年の1924年に別の場所に建立され、2度の移設で現在地に置かれた。
 供養祭は今年で44回を数え、地元の玖須美区がコロナ禍でも絶やすことなく続けてきた。関東大震災のほか江戸時代に起きた2度の大地震の犠牲者を追悼し、防災意識を高めている。沼田政治区長(73)は「100年前の震災を肝に銘じ、今後起きる災害について考えて生活する必要がある。発災時には個人個人で考え、迅速に行動に移すことが求められる」と言葉に力を込めた。
 供養塔の前で約20人の参列者が焼香し、手を合わせた。同寺の板垣智昭副住職(51)は「供養塔は先人の思いを伝えている。寺としても守りつないでいき、思いを地域の皆で継承していきたい」と話した。
 (伊東支局・白柳一樹) 被災した母の教訓 胸に 「地震起きたら津波来る」 伊東の91歳竹下さん 母親から聞いた震災当時の話を語る竹下泉さん=8月下旬、伊東市の文泉堂書店
1910年に創業した伊東市銀座元町の「文泉堂書店」店主の竹下泉さん(91)は、16歳の時に関東大震災を経験した母・龍さんからの教訓を胸に刻む。「地震が起きたら津波が来ると、そう連想する。津波は怖いんだぞと」
 「隣のたんす屋の子どもが倒壊した建物から逃げ出せなくなり、津波の犠牲になった」「船に乗って海に出て行った人たちが帰ってこなかった」-。龍さんから、震災当時の話を聞かされていた。
 現店舗のすぐそばに当時の店を構えていた龍さんの両親ら一家は4人で避難し、無事だった。仏現寺近くの高台の鶏小屋でしばらく避難生活を送ったという。
 伊東はこれまでも群発地震など度々揺れに見舞われてきた。竹下さんは「地震が生活の中にあって結びついている」とし、「津波はすぐにやって来る。近くの避難施設に逃げる心づもりをしている」と語った。

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