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「津波だ」高台へ無我夢中 避難、元禄の教訓根付く 伊東・宇佐美小作文集【伝える 関東大震災100年と静岡②】

 「津波が来るぞ、逃げろ」。伊東市宇佐美の海岸に避難を呼びかける声が響いた。相模トラフ沿いの最大クラスの地震で13メートルの津波が押し寄せるとされる同地区。27日、地元のNPO法人「宇佐美城山・街づくりプロジェクト」による訓練が行われた。住民やサーファー約50人が、海岸からすぐの高台にあるキャンプ場に急いだ。

高台に向かう訓練の参加者=27日午後、伊東市宇佐美
高台に向かう訓練の参加者=27日午後、伊東市宇佐美
関東大震災での避難経験をつづった児童の作文集
関東大震災での避難経験をつづった児童の作文集
高台に向かう訓練の参加者=27日午後、伊東市宇佐美
関東大震災での避難経験をつづった児童の作文集

 訓練の発起人は同NPO法人理事の源久政男さん(84)。「津波から命を守るには、とにかく安全な高さまで逃げること。そのためには避難場所を知ってもらわなくては」と強調する。思いの背景には、関東大震災当時の宇佐美尋常高等小(現・宇佐美小)の児童が体験を書いた作文集がある。
 同地区には当時、5メートルほどの津波が襲来したとみられる。流失家屋111戸、全半壊100戸の被害を出したものの、死者・行方不明者はゼロだった。
 「静かだった地が急に『ヅシー』と動き出しました」「それ山ににげろ」(原文まま)
 作文集には、強い揺れに感じた恐怖や、「津波だ」の声に無我夢中で高台へ駆け上る様子などがつづられている。地区で380人以上が死亡した元禄地震(1703年)の津波の言い伝えを思い出し、一度、高台の桑原地区に避難した住民が「昔桑原ににげた人は皆死んだ」(原文まま)と、さらに高い場所に逃れた記録もある。
 源久さんは3年ほど前、ジオパークと災害について調べる中で、宇佐美小の作文集の存在を思い出した。「どうすれば避難に生かせるか」と、学年ごとにまとめられていた作文を、発生直後の行動や避難場所などに分類して再編集し、冊子にして自費出版した。
 作文集からは、倒壊家屋に取り残された人がおらず、火災が発生しなかった状況も読み取れる。源久さんは「何より、一人一人の判断で率先して高台に逃げるという避難の基本を守った」と犠牲者が出なかった要因を分析する。キャンプ場を緊急避難場所としたのも、児童の体験を踏まえてNPO法人のメンバーらで考えたという。
 常葉大大学院で宇佐美小の作文集を分析した中田剛充さん(81)=熱海市=は、元禄地震の教訓が地域に根付いていたことも要因の一つとみて、過去の大地震の経験を伝え続ける大切さを説く。一方で、人口規模や住宅の増加、道路、鉄道などのインフラ環境など100年前と地域の状況は大きく変わっている。「避難の障害となる建物が増えたことなども踏まえた対策が大事だ」と強調する。
 源久さんらが独自に始めた訓練は、ことしで3回目を迎えた。観光客の避難対策として、地元のサーファー団体や宿泊施設も協力する。「宇佐美から犠牲者を出さないためにも訓練を続けていく」。源久さんは一層、決意を強くした。

 <メモ>県第4次地震被害想定で、伊東市は最短3分で津波が到達する。想定される最大津波高は17メートル。市は観光を中心とする産業や海岸の景観に考慮し、防潮堤の新設や既存施設のかさ上げは当面行わない方針を決めた。津波避難施設の指定や設置が増え、避難困難区域の解消率は市内全体で99.16%となったと試算する。一方で、118人が依然として避難困難だ。このうち、津波避難施設が市の中心部に比べて少ない宇佐美地区が多くを占めるという。

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