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大自在(9月1日)関東大震災100年

 房総半島南部の千葉県館山市を訪れた日の夕暮れ、相模湾の向こうに富士山のシルエットがきれいに見えた。富士山までの距離は約100キロ。障害物のない海越しだと近くに見えた。
 その相模湾では伊豆半島側からフィリピン海プレート(岩板)が関東平野の下にある陸側のプレート地下に潜り込んでいる。そのため陸側にひずみがたまり続け、限界を超えると境が滑り動いて巨大地震を起こす。その仕組みは伊豆半島を挟んだ西側で起きる東海地震(南海トラフ地震)と同じだ。
 館山市周辺に広がる海岸段丘は巨大地震の度に海底が隆起して造られたと洲埼灯台の案内板にあった。1703年元禄関東地震では半島南端が一気に5~6メートル隆起したとされ、一番低い段丘は1923年大正関東地震(関東大震災)で形成されたので「大正ベンチ」と呼ばれている。
 広大な地域が隆起すれば津波が起きる。自然災害史上最悪の約10万5千人が犠牲になった関東大震災からは、9割近い犠牲者を出したとされる大火災と虐殺の悲劇を生んだ流言飛語がすぐに思い浮かぶが、神奈川県西部から伊豆半島にかけて津波も大きな被害を出した。
 政府地震本部サイトによると、静岡県内は関東大震災の揺れと津波で444人が犠牲になった。伊豆半島東岸は相模湾で大地震が起きる度に津波が押し寄せ、伊東市内には元禄や大正の関東地震の供養塔が残る。惨禍を忘れまいとする先人の思いがよく分かる。
 きょうは関東大震災から100年となる「防災の日」。気持ちを新たに、備えに万全を期したい。

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