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大自在(3月2日)小野田寛郎さん

 新千円札の顔に選ばれた北里柴三郎は、現千円札の野口英世にとって細菌学の師に当たる「近代医学の父」である。大正初期に伊東温泉の一角に別荘を構えた伊東市ゆかりの偉人でもある。市内には7月の新札発行を前に顕彰碑が建立された。
 北里の別荘はやがて講談社オーナーの野間家の手に移り、戦後、敷地内に野間自由幼稚園が開設された。二十数年前、老朽化した園舎が世界的建築家の安藤忠雄氏の設計で新築されるという記事を別荘の歴史も交えて書いた。取材を通じて別荘に関わる著名人が他にもいると知った。
 半世紀前の1974年3月、終戦後30年近くフィリピン・ルバング島に身を潜めていた旧陸軍少尉の小野田寛郎さんが帰還し、4月にこの別荘に滞在した。静養を兼ねて講談社から出版される体験記のために記憶をたどっていたという。
 フォークソング「戦争を知らない子供たち」がヒットした後の72年にはグアム島に潜伏していた旧陸軍の横井庄一さんが帰国している。戦争は終わっていなかったと、戦後生まれの若者も子どもも2度にわたって教えられた。
 74年8月に再び伊東市を訪れた小野田さんは野間自由幼稚園にも足を運んだ。「園児と無心に遊ぶ」は本紙に掲載された記事の見出し。平和のありがたみを改めて実感した時間だった。
 小野田さんは10年前に91歳で他界した。存命だったら、ロシアの攻撃におびえるウクライナの幼い子どもたちに、人一倍胸を痛めただろう。戦場に身を置く兵士には、ウクライナ、ロシアに関係なく思いを寄せたに違いない。

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