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運命の東レで恩返しのトス 故郷・気仙沼で被災 バレー教室通して笑顔に 新戦力・小野寺選手、決意【東日本大震災13年】

 バレーボールVリーグ男子1部の東レアローズ(三島市)に4月の入団が内定している宮城県気仙沼市出身の小野寺瑛輝選手(22)=国際武道大4年=は“あの時”の恩を返す時が来たと感じている。小学3年で経験した東日本大震災。当時、復興支援の一環で東レアローズ女子チームが気仙沼市でバレーボール教室を開催した。このイベントがバレー選手を志すきっかけになったと明かす。

復興支援のバレーボール教室で元日本代表の大山加奈さん(後列右)と記念撮影した小野寺選手(前列左)と母真由美さん(後列左)ら=2011年、宮城県気仙沼市内(小野寺選手提供)
復興支援のバレーボール教室で元日本代表の大山加奈さん(後列右)と記念撮影した小野寺選手(前列左)と母真由美さん(後列左)ら=2011年、宮城県気仙沼市内(小野寺選手提供)
公式戦デビューを果たした東レのセッター小野寺瑛輝選手=2日、沼津市御幸町の沼津市総合体育館
公式戦デビューを果たした東レのセッター小野寺瑛輝選手=2日、沼津市御幸町の沼津市総合体育館
復興支援のバレーボール教室で元日本代表の大山加奈さん(後列右)と記念撮影した小野寺選手(前列左)と母真由美さん(後列左)ら=2011年、宮城県気仙沼市内(小野寺選手提供)
公式戦デビューを果たした東レのセッター小野寺瑛輝選手=2日、沼津市御幸町の沼津市総合体育館


 小学1年でバレーを始めた小野寺選手は初めてVリーガーを目の当たりにし「支援物資よりワクワクしたし、『東レ』というチームが男子にもあることをその時に知った」。13年後、その東レに加入したことは不思議な巡り合わせだった。「今度は自分が、子供たちの心躍る瞬間をつくれたら」と強く思う。
 2011年3月11日午後2時46分、授業が終わり、帰り支度をしていた時だった。「揺れ過ぎて、何が起きているのか分からなかった」。三つ年上の兄とともに避難した友人宅で津波に襲われた。気付いた時には50メートルほど先に津波が迫る中、高台の中学校へ懸命に走って逃げた。
 幸い家族は無事だったが祖父母の家は流され、のみ込まれた祖父は水中で意識を取り戻し、自力で生還したという。病院に勤務していた母は職場を離れられず、兄弟2人、避難所で一晩を過ごした。食事は拳より小さいおにぎり一つ。真っ暗な体育館、冷たい床。余震が続き、不安に押しつぶされそうだった。
 その後通っていた面瀬小は遺体安置所に、兄が進学した面瀬中は避難所になった。日中は祖父母とともに避難所で過ごした。生活にはさまざまな制限があり、我慢を当たり前と感じ始めていたころ、バレー教室を通じて笑顔を取り戻した。
 母子家庭だったこともあり当時、周囲が援助の手を差し伸べてくれた。「みんなが面倒を見てくれた。気仙沼はあったかい。結果で恩返ししたい」。内定選手として2日、沼津市総合体育館でリーグ戦デビューを果たした。見る者の心に響く、全力プレーを誓う。
 (運動部・結城啓子)

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