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昭和東南海地震78年 市川さん(袋井出身)が体験絵本化 静岡県内犠牲295人

 静岡県内で犠牲者295人を出した1944年12月の昭和東南海地震から7日で78年。太平洋戦争中で惨事を伝える写真などは少ない上、体験者の高齢化で語り継ぐことが年々難しくなっている。被災した当時袋井町西国民学校(現・袋井市立袋井西小)3年生で、2009年に体験をまとめた絵本を著した市川和子さん(86)=東京都=は「思い出すと今でも震えるほど怖い。地震は繰り返されるので、今後の防災に役立ててほしい」と伝承の継続を願う。

市川和子さんの絵本「東南海地震 八歳の記憶」を手にする妹の鈴木恵子さん=11月29日、浜松市南区
市川和子さんの絵本「東南海地震 八歳の記憶」を手にする妹の鈴木恵子さん=11月29日、浜松市南区

 絵本は「東南海地震 八歳の記憶」と題して自費出版した。A4判10ページで、市川さんによる水彩画の挿絵と体験談を掲載。約65年前の記憶を頼りに制作した市川さんは「今でもそこにいるように光景を思い出す」と語る。
 体験談は5時間目の授業中に突然教室が揺れる場面から始まる。土壁や窓ガラスが割れて落下し、先生は「外へ出なさい」と指示したが、机や椅子が滑り、床が波打って歩けない。校舎の出口付近に児童が殺到した。屋外に避難した直後に、木造平屋建ての校舎2棟が大きな音を立てて沈むように倒壊。当時は地震の知識がなく「何が起きたのか理解できなかった」と話す。
 逃げ遅れた児童は瓦屋根の下敷きになり、冬の青空に大きな土煙が立ち上った。保護者らが駆け付け、児童の救助に当たった。それでも間に合わず約20人が亡くなった。
 卒業生は地震発生50年の1994年に向けて、文集刊行や慰霊碑設置などの伝承活動を開始した。その後、現在の在校児童に体験談を語る活動も始め、市川さんの絵本が活用されてきた。
 市川さんの妹の鈴木恵子さん(84)=浜松市南区=は当時、幼稚園年長児で、友達宅で遊んでいた。同校の校庭に避難し、むしろの上に3、4人の子どもが寝かされていた光景を覚えている。「後になって校舎の下敷きになった児童だったと知った」という。実家も全壊した地震の恐ろしさを忘れられず、今も自宅の家具は針金で固定して地震に備える。
 市川さんの絵本は、静岡、浜松、掛川、袋井などの市立図書館に所蔵され、「袋井市防災史」にも収録されている。「命が救われた者として書き残すことが責務だと感じた。若い人たちに伝われば」と市川さん。次世代の人々に思いを託す。

静岡新聞企画に読者から体験談
激震動けず/寒空の下野宿/米軍機が/食べ物分け合い

  photo01 読者から静岡新聞社に寄せられた昭和東南海地震の体験談の一部
 静岡新聞社は8月中旬から、特集面「いのち守る防災しずおか」で随時掲載中のシリーズ企画「語り継ぐ東南海地震」で昭和東南海地震の体験者の証言を募集してきた。これまで計23人の読者が寄せた証言からは、78年前の県民が未経験の大震災に動揺しつつも、仮設の住まいを築くなど助け合いながら懸命に生きた姿が見える。
 吉田町の福世健志さん(仮名)は当時13歳で、学校で農作業中だった。突然グラグラと体が揺れ、目が回ったような感覚に襲われた。柔道場、剣道場の大きな建物が音を立てて揺れ、窓ガラスが割れて飛散。「みんな腰が抜けたように地面に座り込んで動けず、声も出ない。ショックで生きた心地がせず、随分長く感じた」と振り返る。福世さんら多くの体験者が、畑から泥水が噴き上がるなどの液状化現象も目撃した。
 袋井市の鈴木寿久さんは、地震の揺れで「道路が1メートルほど沈下するなど起伏が生じ、鉄道の線路は鞭(むち)のように地面をたたいて枕木を振り払った」と激しさを表現した。
 人々が倒壊した建物の下敷きになった惨状が目に焼き付いている体験者も複数いた。静岡市清水区の岩崎みえさんは軍需工場で勤務中に被災。女子挺身(ていしん)隊の学生が崩れた梁(はり)の下敷きになり「助けて、助けて」とうめく姿を見た。従業員がトロッコのレールを外し、てこ代わりに使って救助されたが、学生は戦時下で十分な医療を受けられずに後遺症があったという。
 自宅が全壊したため屋外で夜を明かしたり、仮設の住まいで何カ月も生活したりしたエピソードも数多く寄せられた。当時は公的な避難所が設けられず、住民は自助、共助で耐えるしかなかった。
 現在の袋井市に住んでいた斎藤末子さん(浜松市東区)は「丸3夜、屋外にむしろを敷いて家族がうずくまるように身を寄せ、夜明けを待った。子どもながらに12月の夜は寒かった」と振り返る。
 同じく袋井市で被災した狩野川あゆさん(仮名)=伊豆市=は「両親らは鶏小屋の一部を片付けて稲わらを並べ、8畳ほどのスペースを確保した。電気はもちろんなかった。母屋から布団を引っ張り出し、屋外に簡単なかまども作った」という。一方、12月7日の本震以降も余震が何度も続いたり、米軍の爆撃機が飛来したりし、「落ち着いて眠れなかった」との声も多い。
 そんな中でも静岡市葵区の土村時子さんは、無事だった自宅に近隣住民が集まり、しばらく共に暮らした記憶が濃く残っている。「炊き出しをしておにぎりを作り、皆で食べ物を分け合った。夜はろうそくの火を囲んで集まり、温かい雰囲気もあった」と回想した。

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