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テーマ : 掛川市

【序章】記憶㊥ 高校恩師 留年選択の決意に仰天【青春を生きて 歩生が夢見た卒業】

 制服姿で友達と肩を並べてポーズを取った写真。顔にはアプリでユーモラスな加工が施されている―。静岡県立磐田北高在学中の2021年10月に骨のがん「骨肉腫」で亡くなった寺田歩生[あゆみ]さん=磐田市=のスマートフォンには、女子高校生らしい楽しげな写真がたくさん残されている。

寺田歩生さんの思い出を語る当時の鈴木真人校長(中央)や杉山さやか教諭(左)ら=2023年12月、磐田北高
寺田歩生さんの思い出を語る当時の鈴木真人校長(中央)や杉山さやか教諭(左)ら=2023年12月、磐田北高

 国語の授業だろう。こんな画像もある。「軍中以(も)つて楽を為(な)す無(な)し」。中国の歴史書「史記」に出てくる項羽と劉邦の名場面「鴻門之会(こうもんのかい)」の一節を板書した黒板だ。
 「成績は学年トップクラス。授業は真剣に聞いていた」。2年次の担任で、国語を受け持った杉山さやか教諭は、教え子の姿を鮮明に覚えている。同校は、歩生さんが自宅で授業が受けられるようオンライン環境を整えた。黒板の画像は遠隔で授業を受けた時に撮ったもの。休み時間になると、同級生がタブレット端末の前に集まり、画面越しに歩生さんに話しかけるのが日常だった。「頑張り屋の歩生さんがクラスにとてもいい影響を与えてくれた」
 当時の校長鈴木真人さん(61)=掛川市=には「仰天した」思い出がある。歩生さんは、長期療養で出席日数が足りず2年生への進級が困難となった。鈴木さんは、歩生さんの残り人生を考え、単位認定はしないものの新2年生と一緒に授業が受けられる特例措置を提案した。しかし、歩生さんは留年を選択。卒業への確固たる意思だった。
 「先生、休んだら?」。当時の養護教諭増田紀子さん(46)=現浜名高=は、歩生さんから掛けられた言葉が忘れられない。保健室に次々とやってくる生徒の対応に疲弊していると、気遣ってくれた。右足がなく、高カロリー点滴を携えていた歩生さん。信じられないほどの優しさと強さに胸が詰まり、「ありがとね」と短く返すのが精いっぱいだった。
 増田さんは、歩生さんが2回目の1年生だった21年度、静岡大の大学院に進んだ。研究テーマは学校における養護教諭の役割。歩生さんと関わったことで、心と体のプロである養護教諭には、支援を必要とする生徒が学校や教室に入っていけるようにするための重要な橋渡し役があると身をもって学んだ。「先生、よろしくね」。そんな言葉を掛けられている気がしている。青い空の上から。

メモ
 寺田歩生さんが通った県立磐田北高は母や2人の姉も通った。県内の県立高では計4校しかない福祉科があり、学校全体としても医療や福祉、保育、教育関係への進学、就職が多い。普通科に通い、小さな子どもが好きだった歩生さんは、保育士になることが夢の一つだった。かつては女子校で、1999年に男女共学となった。2023年度は創立114年で、磐田市内では磐田農業高に次いで歴史がある。 <続きを読む>序章・記憶㊦ 三姉妹 「最後の旅行」心行くまで【青春を生きて 歩生が夢見た卒業】

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