【序章】記憶㊦ 三姉妹 「最後の旅行」心行くまで【青春を生きて 歩生が夢見た卒業】

 2人の姉は、妹のことが時々心配になった。歩生[あゆみ]は友達がいるのだろうか…。

寺田歩生さん(右)の闘病の合間を縫って三姉妹でディズニーシーへ。長女侑加さん(左)と次女季世さん=2019年8月(提供写真)
寺田歩生さん(右)の闘病の合間を縫って三姉妹でディズニーシーへ。長女侑加さん(左)と次女季世さん=2019年8月(提供写真)

 骨のがん「骨肉腫」で2021年秋に18歳で他界した磐田市の寺田歩生さんは三姉妹の末っ子。闘病で学校にあまり通えず、本人から学校の話を聞くことも少なかった。加えて、歩生さんは意思が明確で、治療してくれている医師や看護師に対しても嫌なものは嫌だとはっきり言った。姉たちがヒヤヒヤした経験は一度や二度ではなく、心配はある意味、自然だった。
 そんな懸念は、歩生さんの通夜の時に見事に打ち破られた。コロナ禍にもかかわらず、同級生が大勢参列し、目を真っ赤にしながら生前のエピソードをあふれるほど語ってくれた。友人の杉田沙穂さん(19)は既に高校をやめて通信制の高校に行っていたが、駆け付けてくれた。「こんなに慕われていたんだ」。年が七つ離れた長女侑加さん(27)は泣けた。
 歩生さんはディズニーが大好きだった。高校1年だった19年8月22日。やりたいことをやれるうちにしようと、三姉妹で東京ディズニーシーに行き、遊び尽くしたのは色あせない思い出。歩生さんの患部の右足は腫れ上がり、とても万全とはいえなかったが、おそろいの洋服を着てアトラクションを楽しみ、キャラクターと記念撮影してスイーツをほおばった。三姉妹で行った旅行としては最後となった。
 歩生さんは、そんな女子らしい一面があるかと思えば、4年間の闘病中、涙らしい涙はほとんど見せなかった。「中学の頃から『強いな』って感じるようになった」。次女季世さん(24)は、妹の変化を肌で感じた。小学生の頃は、季世さんの後ろをついて回る控えめな性格だった。
 一方、歩生さんはひょうきんな一面も。顔に白いペイントをしてコミカルな動きを見せるといった、ユニークな動画がたくさん残されている。「おバカなことばかりしていた」。侑加さんは懐かしむ。
 侑加さんと季世さんは23年9月、「歩生ちゃん人形」を持って、推し(好きなアイドル)のライブに出かけた。自由に外出できない本人の代わりにと、母が歩生さんの生前に手作りした人形。姉妹3人でおしゃべりしたり、たまにけんかしたりする夢はもうかなわない。けれど、かわいくて時々ハラハラさせるかけがえのない妹は、いつまでも姉2人の心の中に生きている。

 メモ 寺田歩生さんの闘病生活の後半は、コロナ禍と重なる。治療を受けていた国立がん研究センター(東京)に通院した際、病状の関係で即入院となったものの、感染症対策のため本人しか病室に入ることができなかった。両親は通院の際、感染リスクを避けるため、公共交通機関をできるだけ使わず、慣れない首都高を車で走った。歩生さんが2回目の高校1年生だった2020年度は、春先に緊急事態宣言が出され、学校が一時休校になった。 <続きを読む>第1章・中学時代㊤ 体育祭 肩組み快走 友と思い出【青春を生きて 歩生が夢見た卒業】

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