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⚽清水エスパルス J1復帰ならず PO決勝、東京Vと引き分け

 JリーグのJ1昇格プレーオフ(PO)は2日、東京・国立競技場で決勝が行われ、J2で3位の東京Vが2008年以来16季ぶりのJ1復帰を決めた。4位清水と1-1で引き分けて、規定によりシーズン上位の東京Vが昇格となった。清水は1年でのJ1復帰を逃した。
 Jリーグ発足から参加する「オリジナル10」同士の対戦。清水は後半18分にPKで先制したが、試合終了間際、Jリーグ初代王者の東京VにPKを与えた。染野に決められ、土壇場で追い付かれた。
 来季はFC東京、J2優勝の町田を含め、東京をホームとする3クラブがJ1で争うことになる。
東京V―清水 後半、PKで先制ゴールを決める清水・チアゴサンタナ(9)=国立競技場(写真部・二神亨)
【写真特集】激闘のJ1PO決勝 


 ▽決勝(国立)観衆53264人
 東京V(J2・3位) 1(0―0 1―1)1 清水 (J2・4位)
 (規定により東京VがJ1昇格)
 ▽得点者【V】染野(PK)【清】チアゴサンタナ(PK)


 【評】清水は試合終了直前に同点とされ、東京Vと引き分けた。
 序盤から攻勢に出たのは清水。セットプレーや両サイドを起点にゴールに迫った。前半28分にはFKの混戦から乾がフリーでシュートを放ったが、枠を外れた。
 試合が動いたのは後半18分。相手のハンドでPKを獲得すると、チアゴサンタナが決めて先制した。5バック気味に守りを固めて逃げ切りを図ったが、終了間際にPKを与え、追いつかれた。
 
 31年目 最低の結果 PO決勝 PKに笑いPKに泣く  あまりに残酷な終幕だった。後半の追加時間6分。PKで自陣のゴールネットを揺らされ、清水のJ1昇格は目前で霧散した。座り込んだまま立ち上がれないFW北川の横で、16年ぶりのJ1復帰に沸く東京Vの歓喜の輪がピッチに広がった。
 昇格には勝利が必須の条件の中、後半18分に先制に成功。恒例の3バックへの布陣変更で守備時の最終ラインは厚くなり、逃げ切り態勢も整った。ところが、DF高橋のスライディングタックルがPK判定を受け、暗転。「もっと落ち着いて対応できたと思っている。反省している」と責任を一身に背負った。
 ただ、試合前のプランは「2点差をつけようと言っていた」(秋葉監督)。PKの1得点とシュート4本に終わった攻撃面にも引き分けという結果を招いた要因はあり、MF白崎は「相手の守備を壊しきれなかったところが今の実力」と漏らす。
 リーグ戦は最終節で勝ちきれず、勝ち点1差でJ1自動昇格を逃した。この日も1点に泣いた。J2では群を抜く強化費を投じ、そろえた選手たちの「個の力」は圧倒的だったが、組織として結束力や反発力に乏しかった。MF乾は「これだけ勝負弱いと…去年からずっとそう」と吐き捨てるように言う。
 今季はJ2優勝とJ1昇格、カップ戦8強以上という目標を掲げながら、何一つ達成できずに終わった。シーズン途中の監督交代の悪循環も断てず。かつては賜杯を争っていたサッカーの聖地で、クラブ史上最低の結果が31年目の名門の歴史に刻まれた。
 (市川淳一朗)

秋葉監督の去就流動的  清水の秋葉忠宏監督の来季去就は流動的な状況となっている。すでに指揮官が進めてきたチームづくりを踏まえて来季の編成作業に着手。J1昇格を果たした場合は続投が基本線だったが、監督選定に関わる山室晋也社長は「もう少し現場の声を聞きたい」と現時点では白紙を強調した。
 秋葉監督は4月にコーチから昇格して就任。開幕から7戦未勝利だったチームを立て直したが、J1昇格にはあと一歩届かなかった。指揮官は試合後、「ただただ自分の力のなさを感じている」と語った。
大熊GMはクラブに一任  1年でのJ1復帰を逃して過去最低の成績となったことを受け、清水の大熊清ゼネラルマネジャー(GM)は「責任は十二分に感じている」とし、去就をクラブに一任する考えを明らかにした。
 大熊GMはチーム編成トップを担って4年目。今季はクラブ過去最高となる29億8千万円の強化費を費やしながら、J2リーグ4位と目標の優勝には遠く及ばず、昇格も逃した。5季連続となるシーズン途中の監督交代も行い、長期的展望を欠いたチームづくりが続いている。自ら進退は示さず、「(クラブと)しっかり話す」と述べるにとどめた。

東京V 16季ぶりJ1復帰 経営難など曲折経て
 1969年に読売サッカークラブとして創部し、日本リーグ、Jリーグ草創期の象徴的存在だった東京Vが、紆余(うよ)曲折を経てJ1に返り咲いた。
 三浦知良(静岡市出身)やラモス瑠偉らスター選手をそろえ、Jリーグ開幕の93年から2連覇。だが、高額年俸の選手を抱えた代償は大きく、98年に読売新聞社が撤退。2001年には川崎市から本拠地を東京へ移転し、再出発した。
 経営難に伴って成績も落ち込み、05年には17位に沈んで初の降格。一度はJ1に戻ったものの、09年に再びJ2へ。この年は胸スポンサーもなく、筆頭株主だった日本テレビが退いて存続危機にまで見舞われた。
 15年間をJ2で戦い、経営陣の混乱もあって20年にはスポーツ用品販売大手のゼビオホールディングスの連結子会社に。変遷を外からも見てきた城福監督は「奈落の底に落ちそうな時、ネガティブな印象しか持たれなかった時を支えた人たちがいる。その事実があって、今この舞台に挑めている」と話していた。もがき続けた名門が、復活への階段を上がった。
 
 

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