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テーマ : 島田市

袴田さんに無罪の心証/熊田俊博 元裁判官【最後の砦 刑事司法と再審 番外編 公判直前インタビュー㊤】

 現在の静岡市清水区で1966年、みそ製造会社の専務一家4人を殺害したとして死刑が確定した袴田巌さん(87)の再審公判が27日、静岡地裁で始まる。死刑囚の再審は5例目で、89年に同地裁が無罪判決を言い渡した「島田事件」以来となる。島田事件の再審開始決定に主任裁判官として関わった熊田俊博氏(74)が静岡新聞社の取材に応じ、袴田さんの第1次再審請求審にも携わったと明らかにした上で「記録を読み、無罪だと思った」と当時の心証を振り返った。弁護士に転身後、県公安委員長も歴任。経験を踏まえて伝えたい教訓とは何か。

熊田俊博氏
熊田俊博氏

 ―島田事件の第4次再審請求審と袴田さんの第1次請求審が、同じ時期に静岡地裁に係属していた。
 「袴田事件の請求審でも主任を務めたが、棄却決定には関与していない。記録を読むと、矛盾点がいっぱいあった。逮捕・拘留から1年以上がたって、みそ樽から(血痕が付着した)衣類が出てきた。(事件直後に)警察は徹底的に捜索している。衣類があれば見逃すはずはなく、非常におかしいと思った」
 ―再審法(刑事訴訟法の再審規定)は不十分との指摘が聞かれる。担当した島田事件の請求審で法の不備を感じる場面はあったか。
 「具体的な規定がなく、手探りではあった。とはいえ、判断する上で必要な証拠は既に十分にあり、困ることはなかった。確定判決の基になった原記録と第1~4次の請求審に提出された証拠や、請求審での新証拠を全て調べ、東京高裁の差し戻し決定が挙げた疑問点に沿って検討した」
 ―検察は再審開始決定に対して即時抗告した。
 「当然されるだろうと思っていた。その結果、再審公判の開始も無罪判決も遅れた。再審請求審が長引く最大の理由は、検察官に抗告権を認めていることにある。裁判というものには名宛て人があり、再審開始決定は本来、もう一回裁判をやり直すということを、確定判決を下した裁判所自体と、その判決を受けた請求人に対して言っている。検察官は名宛て人ではなく当事者とは言えず、抗告権を認めるべきではない」
 ―島田事件も袴田さんの事件も、密室での取り調べが自白の強要を生み出したと批判されてきた。現在は裁判員裁判の対象事件など一部で録音・録画が行われているが、弁護人の立ち会いを求める声も根強い。
 「取り調べの最初から最後まで全てを録音・録画しなくては無意味だ。参考人らも対象にすべき。公安委員として警察学校の初任科生に講話した際、見込み捜査ではなく、いろんな観点から検討して捜査しなくてはいけない、と話した。一つのストーリーに沿って自白を取ったり証拠を集めたりするのはダメだ、と」
 ―その他、再審を機能させるために必要なことは。
 「一番言いたいのは証拠の保管。特にDNA型鑑定の試料となる血液や体液、毛髪などの微物をどれだけ良い状態で保存・保管できるかが大事だ。また、有罪を無罪にするような客観的で重要な証拠が裁判所の前に現れないのはよろしくない。検察官に対して証拠開示の法的義務を課す必要があり、裁判員裁判の導入に伴い整備された通常審のような規定を再審請求審でもつくるべきだと考える」

 島田事件 1954年3月10日、島田市の幼稚園から女児がいなくなり、3日後に遺体が大井川対岸の雑木林で見つかった。殺人などの罪に問われた赤堀政夫さん(94)が死刑判決を受け、60年に確定した。第4次再審請求の即時抗告審で東京高裁は83年、静岡地裁の棄却決定を取り消し、審理を差し戻した。地裁は86年、鑑定結果を踏まえて自白の信用性を否定し、再審開始を決めた。89年、地裁で再審無罪判決が言い渡され、赤堀さんは約34年8カ月ぶりに釈放された。

 くまだ・としひろ 1974年に判事補任官。名古屋地裁などを経て、4カ所目の静岡地裁に赴任。87年、弁護士に転身し、浜松市内で開業した。2013~19年、県公安委員会の委員を務めた。

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