あなたの静岡新聞
▶ 新聞購読者向けサービス「静岡新聞DIGITAL」のご案内
あなたの静岡新聞とは?
有料プラン

テーマ : 事件事故しずおか

「再び核実験しない誓約を」 焼津港所属「第五福竜丸」被ばくのビキニ事件70年 当時の市助役日誌公開

 1954年3月1日に焼津港所属のマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員23人が被ばくした「ビキニ事件」は1日で、発生から70年。焼津市の市歴史民俗資料館は節目に合わせて、市の対策本部長を務めた宮崎作次助役(当時)の日誌を10年ぶりに展示している。文中には、国会議員を通じて、アメリカに再び核実験をしない誓約を求める場面が登場するなど、市としての事件への向き合い方が読み取れる。

対策本部長を務めた焼津市の宮崎作次助役が記した日誌
対策本部長を務めた焼津市の宮崎作次助役が記した日誌
対策本部の動きを中心に宮崎作次助役が記した日誌
対策本部の動きを中心に宮崎作次助役が記した日誌
宮崎作次助役
宮崎作次助役
対策本部長を務めた焼津市の宮崎作次助役が記した日誌
対策本部の動きを中心に宮崎作次助役が記した日誌
宮崎作次助役

 「福竜事件対策本部長日誌綴」。表紙の厚紙に、こう記された日誌は、通常は資料館の収蔵庫で保管している。記述は、第五福竜丸が帰港した2日後の3月16日から始まり、市としての事件の受け止めや調査に訪れる専門家の動き、魚価安定に向けた取り組み、被ばく者の扱いなどについて、関係者の発言や宮崎助役の感想が手書きの文章で綴られている。
 冒頭は、市役所を訪れた県の衛生部長(当時)が、市民の混乱を避けるために調査完了までは慎重な発表を求める場面から始まる。
 宮崎助役らが上京し、衆院議長や国会議員と面会したとされる19日の欄では、アメリカとの補償に関する話題に及んだ際、宮崎助役は「焼津市民の訴えるところは補償などの問題は二の次」「再び実験を行わないという誓約を主題とする陳謝でなければならない」「陳謝なくして損害を補償しても意味ない事」などと訴えたことを書き記した。
 当時の市民の混乱ぶりがうかがえる文章もある。東京大医学部教授らが焼津を訪れた様子について「恐怖する市民は救世主の出現の如く駅頭に出迎える」と記載。宮崎助役が立ち寄ったとされる飲食店の店主による「お客が全然ない」「ゲンバク(水爆)のお陰」という嘆きなども記している。
 日誌について市文化振興課の鈴木源係長は「乗組員と漁業関係者をはじめとする市民を守ろうと奮闘する姿が浮かぶ。責任者の感情まで感じ取ることができる貴重な資料」と評した。
 ビキニ事件 1954年3月1日、米国が太平洋・ビキニ環礁で水爆実験を実施し、公海で操業中だった焼津港所属のマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員23人が被ばくした。約半年後に同船元無線長の久保山愛吉さん=当時(40)=が亡くなった。
 

▶ 追っかけ通知メールを受信する

事件事故しずおかの記事一覧

他の追っかけを読む