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【Web限定】自在自由に「作られる」 初の歌集「くるぶし」発刊 町田康さん(熱海)インタビュー

 作家で音楽家の町田康さん(熱海市)が初の短歌集「くるぶし」(COTOGOTOBOOKS)を発表した。全て書き下ろしの352首は「自分の気持ちが景色となって表れた」ものであり「魂の日記」でもあるという。小説と同様、おかしみや諧謔(かいぎゃく)があちこちから顔を出す、痛快な歌集が生まれた。(聞き手=教育文化部・橋爪充)
初の歌集を発表した町田康さん。「僕はもともとパンクですからね。高邁な思想ではなく、日々の不満とか、自分らの生活のこと、生活に根ざした感覚を歌うんです」=3月中旬、熱海市 短歌はインスタグラムに載せ始めた
 ―発刊のいきさつは。
 「最近、古典の仕事をやっている中で、韻律っぽい文章が出てきて、自然に七音、五音のリズムがインプットされてきたんです。最初は俳句をやりましたが、あんまりうまいこといかない。でも歌(短歌)やったらできるやろなという予感はあったんですね。やってみたら予想どおりすらすらとできてきた。できたものを、自分のスマホにメモとして残していましたが、インスタグラムのストーリーズやったら(アップしてから)24時間で消えるからええやろということで、載せ始めたんです。毎日2、3首は必ず作って。多い時は1日10首ぐらいできたかな。それをCOTOGOTOBOOKSさんが本にしようと。600首以上から選んで歌集にしました」

 ―インスタグラムで作品を発表するようになったのは、いつ頃からでしょうか。
 「2年ぐらい前ですかね。歌集に入っているのはだいたい2022年に作ったものから選んでいます」

 ―義経記を下敷きにした「ギケイキ」(2013年~)「口訳 古事記」(2023年)といった、ここ10年ほどの作品が後押ししたんですね。
 「20代の頃から万葉集とか、日本の短詩形文学が何となく好きだったんですよ。上方落語を聞いているといろんな歌が、特に狂歌が出てきますから。そういう、調子よく流れる日本の言葉には若い時から興味があったということですね」

 ―短歌と言えば思い出すのが、2015年に浜松市で開催された「しずおか連詩の会」の発表会です。町田さんのほかに、野村喜和夫さん、三角みづ紀さん、岡本啓さん、覚和歌子さんが参加されていました。町田さんは、野村さんに感謝を込めた短歌20首を贈ったそうですね。
 「あの時は、野村さんが世話人をやっておられて。(創作が)全部終わった後に、ホテルのバーでお酒を飲んで話をする機会があったんですが、あまりにも親切にしていただいたので、酔った勢いで喜びを歌にして贈ったということだったと記憶しています。3日間、連詩を作るという詩的な言葉のトレーニングをやっていたので、言語の感覚が活発だったのでしょう」

 ―町田さんはよく種田山頭火(大正~昭和期の俳人)に言及されていますが、好きな歌人はいるんでしょうか。
 「いろいろ読みますけれど、最初は岡井隆さんですね。30年ぐらい前に武蔵大学で、藤井貞和さんや吉増剛造さんたちが集った詩の会がありまして、その時に岡井さんが歌を朗読されていたんです。とてもいいなと思って歌集を買って読んだりしましたね。岡井さんの歌には、とにかく言葉のかっこよさを感じますね」
短歌は言葉と気持ちの働きが通じやすい
 ―「私の文学史」(2022年)で「詩とは何か」について書かれていて、その中で「感情の働きを言葉にしたもの」が詩だとおっしゃっています。また、俳句は「わかるからわかる」もの、詩は「わからんけどわかる」ものとしていて、「短歌には、そういう感情みたいなものがないことはない気がします」と書いていますね。短歌の捉え方は、俳句とはだいぶ異なっているようですね。
 「感情が乗っかってきますからね。ぼくはロジックというか、論理というか、そういうのが苦手で。やっぱり感情が乗っかった方が作りやすい。言葉と気持ちの働きが通じやすいのは短歌の方ですね。僕は、景色をそのまま景色として関知感得する能力に著しく欠けていると思っているんです。だから、自分の気持ちが景色となって表れる」

町田康さんの初歌集「くるぶし」(写真部・久保田竜平)  ―「くるぶし」には町田さん流の「おかしみ」が全編に漂っています。「仲間どち盗んだ神酒に酔い痴れて畏き場所に反吐を吐くなり」「トボトボと甲冑まとい炎天下歩む男の今日の運勢」。こうした歌は、どうやって出てくるものでしょうか。
 「歌はなんぼでも出てきますね。そんなに苦吟することはなく。歌のモード、歌の脳みたいなものに入ると、自然にいくらでも出てくる。逆に、モードに入っていないと全然言葉が浮かんでこないです。きっかけは、パッと目にしたことだったり、パッと思ったことだったり。ふとした1ワードが自然に歌になっていくこともある。そこに自分が生きてきた過程、きょうの感情や体調、この1週間思っていたこと、1カ月思っていたこと、半年思っていたことなどが、全部ミックスされて1首になるんですね」

 ―長距離走のような小説とは違って、短歌はゴールが見えていてそこに向かって走り出す感覚でしょうか。
 「パッとすぐに結晶する歌、一瞬で最後まで行く歌もあるし、途中でつかえて『ちょっと置いとこか』というのもあります」

 ―「五分ほど迷うて買うた柏餅みんな悲しく自分なんだよ」といった、人間が作ったものと人間そのものが対峙(たいじ)している歌が特に目を引きますね。こんな情景は現実にはないけれど…といった世界。
 「自分の言葉として浮かんでいるんだけれど、それは単に表面上の意味を伝えるだけの、日常の中で注文したり売ったり買ったりしている言葉じゃない。自分の中にある、わけが分からん『魂』とか感情のうごめきを乗せる『台』としての言葉なんですよ。それが体から出てくると、(受け手に対して)魂が通う。それが歌だと思うんですよね。詩や小説など全般にそうでしょうけど、『言葉に感銘を受ける』っていうのはそういうことだと思います」

 ―読み手がちょっと油断するとほろりとさせられるところもこの歌集の特徴ですよね。そういう歌がたくさん仕込まれています。「張り裂ける胸を繕う木綿糸人間的に粗いステッチ」「また一人春に旅立つ男ありあの日の桜かえり見もせで」「着流しで凝と見てゐた観覧車まんま昏れてもよいのですよと」などが代表格だと思います。 
 「特に作為はなくて、その時のその感情がそのモードに入っていたんだと思います。挙げていただいたのは人間の命とか、命のはかなさに関係する歌だと思うんですけど、実際にそういう思いがあった時に作ったものです」
歌集の並び順は時系列、魂の日記みたいなもの
 ―こうした歌の置き方、並び順は試行錯誤の結果なのでしょうか。
 「歌は選びましたが、並び順は時系列なんです。春夏秋冬分けたり、前後を入れ替えたりはしてはいない。気持ちの流れそのままなんですよ。だから、魂の日記みたいなものですね」

 ―時系列だとは思いませんでした。編集的な作業が加わっているのかと。歌の内容について言えば、全体的に「衣食住」を感じますね。「生活」と言うより「衣食住」。特に「食」への執着を感じます。
 「僕はもともとパンクですからね。高邁な思想とかではなく、日々の不満とか、自分らの生活のことを歌うと。宇宙の摂理とか観念的なことじゃなくて、モノに則した、生活に根ざした感覚を歌うというのが立ち位置としてあります。食べ物にしても、自分が普段食べているものが歌に影響しているんでしょう。うどん、チャーハンがよく出てきますけど、言葉のリズムとして調子いいというのもあるんです」

 ―「共感の乞食となりて広野原彷徨いありく豚のさもしさ」「豚たちと漬物食べて壱岐対馬もうこの事は言ふな喋るな」「この村に豚と生まれておぼぼしく生きていくのか栗を拾うて」など、「豚」が頻出しますね。そこに目線を合わせているようにも感じられます。何のメタファーでしょうか。
 「人間の内側には豚的なマインド、魂があるんじゃないかと。よこしま、獣性があることを恥じる必要はないし、ナチュラルに認めながら生きていけばいいんじゃないか。そうした自分の観念が、豚という言葉として出やすかったんでしょうね」
決着つかん言葉は、いつまでたっても決着つかん
―「栗を拾う」というモチーフも頻出します。
 「『栗拾い』っていうのは、昔から興味がありまして。疑問符がある言葉ですよね。決着の付いていない言葉としてほかに『イチゴ狩り』『ミカン狩り』があります。『狩る』ってなんやねんという。摘んでるだけやん、というのがあって。それすら納得いっていないのに、なんで栗は狩らないのって思うんです。栗にはイガがあるから、ちょっと手ごわいのかな、何なんだ君たちはって。そうした『栗拾い』というものに対する納得いっていない感じと、滑稽さ。普段は偉そうなことを言うてるやつも、唯々諾々と「栗拾いだね」とか言いながら、下向いて栗拾ってる。「痛っ」とか言いながら。『栗拾い』は分からないまま、どうしても折に触れて出てくる言葉なんです」

 ―ご自分が引っかかる言葉を、切り捨てていくんではなく、引きずって引きずって、いろいろな作品に出している。それがここでも現れているんですね。
 「決着つかん言葉は、いつまでたっても決着つかんのです」
初の歌集を発表した町田康さん=3月中旬、熱海市 歌集のタイトルには妙な感じを出したかった
  ―タイトルの「くるぶし」ですが、「くるぶしは俺の心の一里塚夜の心はみなの禿山」という歌が収録されています。また、「ホサナ」(2017年)には「日本くるぶし」という霊的な存在が登場します。これも、お好きな言葉なんですか。
 「『くるぶし』って『狂った節』ともとれますよね。短歌、歌、節。狂った節。そもそも、くるぶしって関節と関節をつなぐ不思議な器官ですよね。そういう妙な感じを全体のタイトルとして出したいなと」

 ―歌という世界の豊かさ、幅の広さを感じると同時に、それを町田さんが自在に扱っているようにも感じられます。作品としてまとまったものをご覧になって、「歌」というジャンルへの印象は変わりましたか。
 「今、短歌のブームとかありますけど、それとはちょっと違うなという印象ですね。自分自身の心の動き、頭の中身が赤裸々に現れています。こんなお茶わんを使っている、こんな家に住んでいるといった、自分の外側にある『生活』ではなく、それに触れた自分の感情が歌になっていると思うんです」

―短歌は今後も作り続けていくのでしょうか。
 「作るというより、勝手に出てくるような感じがあります。スイッチが入ったら、勝手に生産されてくる。『作るなよ自在自由に作られろ豚に生まれろそれが歌やぞ』という歌が収録されていますが、そんな感じ。自在自由に『作られる』んですね」

 まちだ・こう 1962年大阪府生まれ。高校在学中に町田町蔵名でパンクバンド「INU」を結成し、81年にレコードデビュー。96年、初の小説「くっすん大黒」を発表。2000年「きれぎれ」で芥川賞、05年「告白」で谷崎潤一郎賞。最新作は「ギケイキ(3)不滅の滅び」。

いい茶0

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