テーマ : 芸能・音楽・舞台

倉本聰さん演劇 次代に 塾開いた北海道・富良野 試行錯誤で稽古重ねる

 脚本家倉本聰さん(89)が北海道富良野市で1984年、役者とシナリオライターを養成する「富良野塾」を設立してから今年で40年となる。2010年に惜しまれながら閉塾したが、地元では今も、卒塾生らが演劇文化を次代につなごうと試行錯誤を重ねている。「僕の思想をきちんと分かって継いでいるのはわずか」。倉本さんは厳しい評価を口にしつつ、後進の成長を見つめ続ける。

「悲別2023」の一場面。市民らも登場した=2023年12月、北海道富良野市
「悲別2023」の一場面。市民らも登場した=2023年12月、北海道富良野市
取材に応じる脚本家の倉本聰さん=1月、北海道富良野市
取材に応じる脚本家の倉本聰さん=1月、北海道富良野市
「悲別2023」の一場面。市民らも登場した=2023年12月、北海道富良野市
取材に応じる脚本家の倉本聰さん=1月、北海道富良野市

 23年12月、倉本さん監修の「悲別(かなしべつ)2023」が同市で公演された。舞台は北海道の架空の町・悲別。かつて炭鉱労働者がタイムカプセルを坑道に埋めたとされ、それを探す約束を交わした2人の男と、話を聞きつけた新聞記者が閉ざされた“地底”に足を踏み入れる。
 テレビドラマ「昨日、悲別で」(84年)や、演劇「今日、悲別で」(90年)などにも登場する炭鉱町。演出を担当した久保隆徳さん(57)は、父親が福岡県の筑豊炭田で働いていたこともあり、塾生時代になじみ深いと感じた設定を選んだ。
 若い世代に知ってもらおうと出演者の多くは30代以下を起用。だが、稽古は苦戦の連続だった。
 2年間、共同生活を送る富良野塾では、農業で生活費を稼ぎながら演技や脚本を勉強。坑木を持ち上げる動き一つを取っても働く中で自然と覚えた。一方、そうした体験がない若者は「それっぽい動き」を演じるしかない。
 台本との向き合い方も、炭鉱内の空気やタイムカプセルの重さなど“行間”への想像力が問われた塾生と違い、書かれた内容ばかりに没頭。「彼らも本気だけどベクトルが異なる。思想を変えるぐらい大変だった」
 差を埋めようともがきながら迎えた本番。客席ではスタンディングオベーションが起きたが、「経験を伝え切れなかった」と久保さん。それでも「今は種をまいた状態。塾を通して先生から教わったことを、次の世代に渡していきたい」と前向きに捉えている。
 公演には卒塾生が演技指導した市民らも登場した。会場となった劇場「富良野演劇工場」は、地元の小中学生らの演劇祭が毎年のように開かれ、そこから俳優を志す子どももいるという。卒塾生の太田竜介工場長(55)は「舞台で表現する喜びや感動、達成感を多くの人に味わってもらい、演劇文化を支える仲間を増やしたい」と期待する。
 倉本さんは公演を振り返り「しないようにしようと思ったんだけど、口出ししちゃった」と笑みを浮かべた。久保さんらに任せるつもりだったが、相談を受けて指導に出向いた。40年の歳月を経ても情熱は尽きず「今まで書いた財産を伝承しながら練り直し、新しいものとして送り出したい」と瞳を輝かせた。

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