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【科学する人】分子生態学者/兼子伸吾さん㊥ 25種分析の経験が礎に

 福島大の兼子伸吾さん(磐田市出身)が環境分野に関心を持ったきっかけは1991年の湾岸戦争だ。まだ中学生だった当時、原油にまみれた海鳥の映像に衝撃を受けた。「これからは環境への取り組みが必要になる」。心に期するものがあった。

青森県おいらせ町でミズアオイを調査する福島大の兼子伸吾准教授(右)=2023年9月(本人提供)
青森県おいらせ町でミズアオイを調査する福島大の兼子伸吾准教授(右)=2023年9月(本人提供)

 高校2年の時には「受験勉強をガリガリやるのは性に合わない。人と違うことをしよう」と、外国語科目にドイツ語を選んで大学受験することを思い立った。弓道部の後輩の父親が大学教員でドイツ語に詳しかった。一対一でみっちり教えてもらったが、ドイツ語より「研究者としての生き方や社会問題などの話に夢中になった」。結局、外国語は英語で受験し、97年に広島大に進学した。
 学生時代は希少植物のDNA分析に打ち込んだが、研究者としてやっていく自信はあまりなかった。同大大学院も終盤を迎えたころ、高価で長期間を要していた分析を格段に安く、短期間でできる技術が開発された。「絶滅危惧種をどんどん分析して保全につなげよう」。熱意が再び湧いた。
 京都大大学院で4年間ポスドク(任期付きの研究職)を務め、1年で25種の分析を手がけるなど腕を磨く。その時の経験が今の礎となった。
 分析の仕事は研究室にこもる時間が長くなりがちだ。珍しく調査で九州を訪れた際、共同研究者から言われた。「(分析のプロは)研究室で分析していろ。その方が結果的に人類のためになる」

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