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【追想メモリアル】複数の「再審」に関わる 「袴田事件」弁護団長/西嶋勝彦さん(1月7日死去 82歳)

 長男は内輪の葬儀で「仕事と酒の人生でした」と振り返ったという。

所属事務所で話す西嶋勝彦さん。せっかちで、飲みに誘った同僚が遅いとエレベーターの中から「船が出るぞ」と急がせた=2020年7月、東京都千代田区(お茶の水合同法律事務所提供)
所属事務所で話す西嶋勝彦さん。せっかちで、飲みに誘った同僚が遅いとエレベーターの中から「船が出るぞ」と急がせた=2020年7月、東京都千代田区(お茶の水合同法律事務所提供)

 仕事の方は弁護士1年目の1965年から、事務所の先輩に誘われ「八海事件」に携わる。山口県で起きた夫婦殺害事件で、主犯とされた被告の判決は死刑、無罪、死刑と変遷していた。同県で一家6人が殺された「仁保事件」の被告(一、二審死刑)も同じ拘置所にいた縁で弁護し、どちらも無罪を勝ち取った。
 さらに島田市で女児が殺害された「島田事件」や「徳島ラジオ商殺し」などの再審請求にも関わるようになり、「袴田事件」の弁護団長に。一家4人をあやめ、放火した犯人として死刑が確定した袴田巌さんは静岡地裁で再審公判中。今年の年賀状に「もうすぐ死刑台から取り戻す。何と半世紀かかった」と記した。
 記者には「犯人扱いして警察や検察の先棒を担いでいたのに、手のひらを返したようだ。反省や昔の記事の検証はないのか」と苦言を呈した。
 ただ弁護士は、手弁当か報酬の安い刑事事件では食っていけないと言われ、ご多分に漏れなかった。法律事務所の同僚によると、連日夜の9時、10時まで、土日も出てきて、民事訴訟の書面作成などに追われたが、要点を押さえ、てきぱきとした仕事ぶりだった。
 一段落すると、同僚を居酒屋へ誘い、日本酒を傾けては破顔一笑した。付き合いは広く、飲み会や同窓会の幹事をよく引き受け、酒を楽しんでいた。関東近辺の酒蔵巡りへも出かけた。
 福岡市生まれ。産後すぐに亡くなった実母の妹夫婦に育てられた。奨学金で通った中央大時代には「60年安保」闘争や三井三池炭鉱争議の隊列に加わった経験もある。
 間質性肺炎を患い、酸素吸入ボンベと車いすが離せなくなっても仕事を続けたが、力尽きた。

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