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地域を愛し地域に愛された「庵原新聞」 3月廃刊に読者ら惜しむ声

 現在の静岡市清水区と富士市の一部に当たる旧庵原郡(旧富士川、旧蒲原、旧由比町)で1983年以来発行を続けてきた「庵原新聞」(タブロイド判。毎月第1~3土曜日発行)が、今月で40年以上の歴史に幕を下ろす。今年1月に廃刊を発表して以降、読者から編集部に対し、感謝の手紙が寄せられている。

創刊当時の紙面などを振り返る大嶽正孝代表兼編集長(左から2人目)と記者の女性たち=4日午前、富士市中之郷の宗清寺
創刊当時の紙面などを振り返る大嶽正孝代表兼編集長(左から2人目)と記者の女性たち=4日午前、富士市中之郷の宗清寺
1983年5月29日付の「プレ創刊号」(右)と旧庵原郡の3町合併の必要性を説いた大嶽正孝代表兼編集長の1面社説
1983年5月29日付の「プレ創刊号」(右)と旧庵原郡の3町合併の必要性を説いた大嶽正孝代表兼編集長の1面社説
創刊当時の紙面などを振り返る大嶽正孝代表兼編集長(左から2人目)と記者の女性たち=4日午前、富士市中之郷の宗清寺
1983年5月29日付の「プレ創刊号」(右)と旧庵原郡の3町合併の必要性を説いた大嶽正孝代表兼編集長の1面社説

 「読後感はいつも心ほっこりさせるものがございました」。読者の渡部和夫さん(84)=富士市北松野=は2日、手紙に1万円を添えて編集部に手紙を手渡した。地域行事を偏りなく報道する姿勢に「小さな善を見逃さないという宗教性すら感じた」と評価する。地域の鮮魚店の新聞広告にも「庵原新聞ありがとう」などのメッセージが踊る。
 創刊したのは、宗清寺前住職で今も代表兼編集長を務める大嶽正孝さん(88)=富士市中之郷=。当時は定時制の県立高校教諭だった大嶽さんは授業のない日中、ミニバイクを駆って1人で取材と営業を始めた。最初は表裏計2ページ。100部程度から始まったが、ピーク時には3600部ほども売り上げた。
 転機は近年の新聞離れや人口減だ。4コマ漫画も描く、旧由比町担当記者の山岸智子さん(66)は「(途中身売りの話なども出たが)庵原新聞が庵原新聞らしくあるうちに終わろうと皆で話し合った」とする。
 「中立公平」を貫く庵原新聞で、大嶽さんが1面に「まだ間に合う『三町合併』」と題した大型社説を書いたことがあった。2003年8月23日付。大嶽さんは「1面社説は後にも先にもあれ一度きり。いろいろな反響があったが、当時は本気で3町が他の自治体にのみ込まれることを心配した」などと振り返る。
 「平成の大合併」が吹き荒れる中、その後旧由比町と旧蒲原町は静岡市と、旧富士川町は富士市と合併した。間もなくペンを置く大嶽さん。「合併で地域の良さが失われてはならない」と警鐘を鳴らし続ける。

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