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「秋葉山常夜灯」 静岡・浅間通りのシンボル 40年ぶり 大修繕

 静岡市葵区の浅間通りの玄関口にある市指定有形民俗文化財「中町秋葉山常夜灯」が30日までに、銅板屋根をふき替え、朽ちた木部を交換するなど40年ぶりの大規模修繕を終えた。「秋葉信仰」で防火を祈願するシンボルとして大切に守られ、江戸時代から再建や修繕を繰り返してきた。同日、神事で完成を祝った地元関係者は「自分たちの街は自分たちで守るという江戸時代からの思いや歴史を後世につなぐ」と誓った。

大規模修繕を終えた常夜灯を見上げ、祝う地元住民ら=30日午前、静岡市葵区
大規模修繕を終えた常夜灯を見上げ、祝う地元住民ら=30日午前、静岡市葵区
大規模修繕を終えて台座とつなぐ作業を進める文化財修理会社関係者=27日午前、静岡市葵区
大規模修繕を終えて台座とつなぐ作業を進める文化財修理会社関係者=27日午前、静岡市葵区
大規模修繕を終えた常夜灯を見上げ、祝う地元住民ら=30日午前、静岡市葵区
大規模修繕を終えて台座とつなぐ作業を進める文化財修理会社関係者=27日午前、静岡市葵区

 常夜灯の正確な建立時期は不明だが、江戸中期の画家・土佐光成が宝永5(1708)年ごろに駿府の街を描いた「駿府鳥瞰(ちょうかん)図」にその姿が示されているほか、内部から見つかった最も古い支柱に天保13(1842)年に再建された記録が残る。
 大正期に静岡鉄道の路面電車の鷹匠-中町区間が開通すると、中町停留所付近にあった常夜灯は街のシンボルとして親しまれた。中町と馬場(ばばん)町の両自治会と静岡浅間通り商店街振興組合でつくる常夜灯保存会の原木公子理事(65)は「かつてはデートの待ち合わせ場所にもなっていた。街や住民のさまざまな歴史を語ってくれる存在」と思い起こす。周辺の再開発で行き場をなくした常夜灯は1971年に、数十メートル離れた現在地に移された。
 84年に市の文化財に指定されたことを受け、保存会が発足。修理を施すなど見守りを続けたが長年の風雨で木部の傷みが激しくなっていた。2016年に代替わりした保存会メンバーが常夜灯に電気を通したことを機に、修理の機運が高まった。市などの助成を受け、昨年6月から文化財修理会社「祥雲」(本社・同市駿河区)の工場に搬出され、大修繕が始まった。
 3月27日には、修復を終えた常夜灯がトラックで現地に到着し、クレーンで石の台座とつなぐ作業を進めた。修繕で見つかった再建や修繕の記録が残る支柱などは次回に向けて散逸しないように内部に戻した。保存会の小川保会長(79)は「文化財の修繕過程で、常夜灯が持つ歴史の重みを感じた。先輩たちがこの地に移した思いを後世に、つないでいきたい」と話した。
 (社会部・吉田史弥)

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