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疲れた体に湧く思い まだまだ歩き続けたい(大滝美恵子/ライター)【スペイン巡礼 歩きひとり旅⑤】

 フランス国境から大西洋に近いスペインの聖地「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」に向けて出発したのは、4月初旬のこと。暦が5月に変わろうという頃に、山頂に鉄の十字架があることで知られる標高約1500メートルのイラゴ峠を通過したのですが、なんと驚くことに雪模様…。顔に吹き付ける雪に耐えながら、地面を凝視して歩いていると、先を行く誰かが書いたのでしょうか、足元の石に「笑顔を忘れずに」というメッセージがありました。
鉄の十字架で知られるスペイン・イラゴ峠にある教会。5月になろうというのに雪が降った
 足のけがや体調不良により、途中でリタイアする人も少なくありません。12世紀頃に最盛期を迎えたというスペイン巡礼ですが、当時からゴールするのは決して簡単なことではなく、ひっそりと道の脇に建てられた十字架の墓標に幾度も手を合わせてきました。
 ある街に着いて、目抜き通りを歩いていると、後ろから私の名前を呼ぶ声が。振り返ると1週間ほど前に知り合った同世代のイタリア人女性でした。彼女は歩くのが速かったので、もう会うことはないだろうと思っていたのですが、見ると足に包帯を巻いています。聞けば、靱帯[じんたい]を伸ばしてしまって、3日間、この街で様子を見ているとのこと。知る人もいない街で滞在を余儀なくされ、不安と焦りいっぱいの彼女でしたが、見知った顔と再会し、愚痴を言えたことで明るくなれたようでした(その後、お互い無事にゴールを果たし、祝杯を交わしました)。
スペイン・フランス人の道、サンティアゴ・デ・コンポステーラ、メリーデ
 そして巡礼路「フランス人の道」の最後のヤマ場、セブレイロ峠を越えると、道はガリシア州へ。残すところ約100キロ地点の街サリアでは、ここから歩き始める人も多くいて、巡礼者の数が急増します。
 メリーデという街のゆでタコが有名と聞いたので、レストランの開店時間を考慮して通過するスケジュールを立てました。ゆで上がったばかりのタコがハサミで切り分けられ、オリーブオイルとパプリカを振って、木皿で提供されます。そのプリプリの身の歯ごたえといったら!!
 実はこういった情報は誰かから聞いたか、もしくは偶然の出合いでした。ガイドブックの類は一切持たず、ひたすらゴールにたどり着くことを優先に考えていたので、寄り道になる“観光”はむしろ避けてきたのです。特に教会や修道院はだんだん見慣れてきてしまい、疲れた身体にムチ打ってまで訪れる気力はなくなっていきました。私だけでなく、ほとんどの巡礼者は観光をしていないのではないでしょうか。それゆえ、目をつむって思い出すのは、スペインの名もなき美しい“道”ばかりなのです。
 交互に履いていた2足の靴下には穴が開き、手洗いを続けているTシャツは汗臭さが取れなくなりました。髪には白髪が目立つようになり、日焼け止めを塗るのも意味がないくらい肌は真っ黒。膝も腰も肩も慢性的に痛みがあります。それなのに。なぜか湧いてきた思いがありました。まだ到着したくない、まだまだ歩き続けたい。
 私が目指す聖地「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」はもうすぐそこです。
 (大滝美恵子・ライター)
​​スペイン・メリーデの名物「プルポ(ゆでタコ)」。小さめのお茶わんに注いだワインと一緒に
​​黄色い矢印は巡礼路の目印。先を行く誰かが黄色の花びらで矢印を地面に作ってくれていた

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