帰還困難区域の避難解除 住民戻らず古里復興壁高く 二拠点居住の容認要望も【大型サイド】
東京電力福島第1原発事故から11年以上が過ぎた昨年6月、福島県内の帰還困難区域の避難指示解除は特定復興再生拠点区域(復興拠点)から始まった。それから半年余りで戻った人が約1%という現実は、長期避難が古里復興への壁を高くしたことを如実に示している。今後始まる拠点外の避難解除では、住民が帰還か否かの決断を迫られており、避難先と自宅の二拠点居住の容認を求める声も上がる。
断念
阿武隈高地の農村地域、葛尾村野行地区に設定された復興拠点には30世帯80人が住民票を置くが、避難先と拠点内の自宅を行き来する人を含めても4世帯のみだ。長期避難で古里への帰還を諦めた人は少なくない。
野行地区の行政区長を務める大槻勇吉さん(74)もその一人だ。除染に伴い家は解体し「この年で新たに建てられない」と、近くの三春町にある災害公営住宅に暮らす。近くに病院やスーパーがあり、「住めば都になっちまった」という。
喜びと寂しさ
内陸部の会津若松市に避難していた田沢憲郎さん(76)は昨年12月、妻トキイさん(76)と共に、第1原発が立地する大熊町に戻った。復興拠点内の自宅から通院先まで車で45分もかかるようになった。それでも「古里はゆったりできていい」と笑顔だ。
大熊町の復興拠点で暮らすのは36人に過ぎず、近所で他に戻った人はいない。「12年長かったな。ここには働く場所も戻ってないからしょうがないけど、夜は寂しくなる」と漏らした。
復興拠点はJR大野駅を含み、町民の6割、約5800人が住民登録するかつての中心部だ。「もう少し帰ってくる人がいてもよかったのではないかとは思う」と町企画調整課の幾橋功課長は淡々と話した。
家屋解体で空き地だらけになった駅周辺に住宅などを整備し来年に町開きの予定。町は企業誘致にも取り組み、2027年までに拠点内の居住人口2600人を目指す。
拠点外
6町村に設けられた復興拠点の避難解除はこの春完了する。政府は、拠点外にも20年代中に希望者が帰還できるよう国費で除染を実施する考えだ。ただエリア全体が除染対象だった復興拠点に対し、住宅がまばらな拠点外は帰還意向のある人の家や周辺道路などに限るとしている。
政府は意向調査を重ね、即断は求めないとしているものの、帰還するか否か判断するよう突き付けられていることに変わりはない。長期避難の間に抱えたさまざまな事情で決断できない人は多い。
内堀雅雄知事は今月1日のオンライン講演で「住民に寄り添った対応をしてほしい」と二拠点居住を認めるよう政府に求めた。これを受け、渡辺博道復興相は3日の記者会見で「帰りたい意向のある方を最優先に帰せる環境づくりが重要。どう対応できるか今後の課題だ」と述べるにとどめた。