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【日鉄のUSスチール買収】生き延びる80年代の世界 古い対日観と決別を 丸紅執行役員・経済研究所長 今村卓

 日本製鉄による米鉄鋼大手USスチール買収に、大統領選で再対決が見込まれる民主党のバイデン大統領と共和党のトランプ前大統領が難色を示した。日米首脳会談を控え、政治問題化した背景や大合併の行方を2人の識者が論じた。

丸紅執行役員・経済研究所長の今村卓氏
丸紅執行役員・経済研究所長の今村卓氏

   ◇   ◇
 日本製鉄による米鉄鋼大手USスチール買収に全米鉄鋼労働組合(USW)が反対、政治問題に発展した。大統領選の年に、東部ペンシルベニア州に本社を置く老舗企業の身売りが浮上したことが背景にある。
 共和党のトランプ前大統領はもとより、再選を目指す民主党のバイデン大統領にとって、大票田ペンシルベニアは中西部のミシガンやウィスコンシンと並び、絶対に落とせない重要州だ。
 ペンシルベニアは典型的な「パープルステート(紫の州)」である。民主党のシンボルカラーの青、共和党の赤のいずれか一色に染まった土地柄ではなく、支持率は拮抗している。
 2020年の前回大統領選の際は、バイデン氏が約8万票差でトランプ氏を下した。苦戦気味の今回、同州では横一線と見られており、1万票とか5千票ぐらいの小差で勝負が付きかねない。
 このため、USWはキャスチングボートを握っている。トランプ氏は日鉄による買収を「阻止する」と言い切ったが、バイデン氏も相当に鉄鋼労働者寄りの立場を取らざるを得なかった。
 3月半ばに声明を出し「国内で所有・運営される米鉄鋼企業であり続けることが不可欠」と述べた。日本企業の対米投資を歓迎してきた従来のバイデン氏の立場と矛盾する。
 ただ「阻止する」とまでは言っていない。買収自体を否定せず、組合に最大限譲歩したギリギリの表現とみている。USWはこれを多とし、大統領選でバイデン氏を支持すると発表した。
 半世紀の間、衰退を止められなかった米鉄鋼業の特殊性が透けて見える。自力更生できない斜陽産業であるが故に、生き残りを政治に懸ける駆け引きにたけている。
 米鉄鋼業界には「1980年代の世界」が息づく。ソニーによる89年のコロンビア映画買収をはじめ、米国のシンボル企業を次々と買い占める日本が「脅威」と見られていた時代である。
 あれから30年以上たつのに、選挙イヤー、激戦州の老舗企業の身売り、買収阻止に向けた米ライバル社の働きかけという要素が相まって、昔ながらのナラティブ(物語)が生き延び、ラストベルト(さびた工業地帯)にこだましている。
 それでも無視はできない。「古き良きアメリカ」のノスタルジーに浸る高齢層には、そのナラティブが響く。若者と比べて投票に行く人が多いから、政治家としても配慮せざるを得ない。
 バイデン、トランプ両氏とも、若年・無党派層には人気がなく、伸びしろに乏しい。このまま票の掘り起こしが進まなければ、投票率が下がる可能性も考えられ、高齢層の重みがさらに増す。
 とはいえ、時代は大きく変わった。特にこの10年、日本企業は対米直接投資を重ね、投資残高は国別首位だ。進出した日系企業は利益を地元に再投資し、多くの雇用を生み出している。
 どの社も「善きアメリカ企業」になろうと努め、もはや脅威でも何でもない。脱炭素に向け、老朽化したUSスチールの高炉を再生できるのも日鉄ぐらいしかないと聞く。日米双方のために、実態と懸け離れた古い対日観を突き崩していかなければならない。(談)
   ×   ×
 いまむら・たかし 1966年、富山県生まれ。89年に一橋大を卒業し、丸紅入社。2008~17年、丸紅米国会社ワシントン事務所長。米国の政治、経済に精通。19年から現職。

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