「記者書評」・ユーリー・マムレーエフ著、松下隆志訳・「穴持たずども」 不条理な社会映す群像劇
ずっと悪い夢から覚めないような作品だ。「穴持たず」とは、冬眠に失敗して空腹のまま森をさまよう熊のこと。本書の登場人物たちは皆夢うつつなまま、それぞれの奇矯なやり方で、理不尽な世界における真理や魂に触れようとのたうち回っている。
主人公のフョードルは40がらみの男。冒頭から「煙草あるか?」と尋ねた若者に、どでかい包丁をぶすりと突き刺す。そして死者の頭のそばで夕食のサンドイッチを食べ始め、身の上話を始めるのだった。
彼は人を殺す行為に取りつかれ、それは「謎解き」のようだと語る。隣人のパーヴェルは「人生とは性行為のおまけにすぎない」と考えており、その義弟のペーチャは自分の体の一部を削り取って食べている。かくも文明的とは言い難い面々が登場する一方、「形而上的な独我論」を信奉する一派の存在感も大きく、思弁的な会話が繰り広げられる群像劇だ。
本書が執筆された1960年代後半のソ連は、スターリンの死後、文化政策が見直された頃。巻末の解説によれば、著者の住むアパートに作家や詩人らが集まり、文学や哲学を語り合うサロンが形成された。その参加者たちが、癖の強過ぎるキャラクターたちの原型になったのだという。
近い時期にノーベル賞作家のソルジェニーツィンが強制収容所の実態を暴く「収容所群島」を執筆していたことを考えれば、過酷で不条理に満ちた社会が生んだ鬼っ子のような作品と思わせられる。あまりに猥雑で前衛的な世界観は国家当局に認められるはずもなく、本国で出版されたのはソ連崩壊後の93年だった。
特筆すべきは、詩的ともいうべき言葉の美しさだ。「窓の外は夜だった。闇にまたたく星たちがにわかに語りはじめ、(中略)世界中に撒き散らされた、この地上で塞ぎ込んでいるすべての白痴どもの声に思えた…」。精神的な飢餓感に捕らわれた人間が夢みる「不死の魂」が、そこかしこにきらめいている。(平川翔・共同通信記者)
(白水社・4180円)