背番号42の思い受け継ぐ 黒人初大リーガーに敬意 中日ブライト、家族と交流
米大リーグで背番号42は全30球団で永久欠番となっている。人種差別に屈せず、黒人選手初のメジャーリーガーとなったジャッキー・ロビンソンさんの功績をたたえるためだ。プロ野球でも中日のブライト健太外野手(24)が故人への敬意を込めて「42」を背負う。
「ジャッキーさんに勇気をもらった。自分もそうなれるように」と理由を明快に話す。父はガーナ人、母は日本人で、日本で生まれ育った。身体能力の高い有望選手として上武大時代に注目され、2022年にドラフト1位で入団。1軍定着を目指し鍛える日々だ。
「何で肌が黒いの?」。小学生の頃、好奇の視線に悩んだ時期があった。救いになったのは、父ジョンさんに勧められた映画「42 世界を変えた男」。差別や偏見に立ち向かうロビンソンさんの半生を描いた作品で、その姿に感銘を受けた。
夢だったプロ野球選手となり、感謝の思いをロビンソン一家に伝えようと決めた。「彼の勇敢な姿がなかったら野球をできていなかったかもしれない」と語る。昨オフ、願いがやっと実現した。
アフリカ東部タンザニアで暮らす次男のデービッドさん(71)と連絡が取れ、昨年12月に球団の加藤潤通訳が代理として訪問。ブライト選手のユニホームを手渡すと「重要なメッセージを受け継いでくれた。心の底からうれしく思う」と感激の様子だったという。
デービッドさんは米国からルーツのアフリカに移り住み、1989年にコーヒー栽培を始めた。農園を開き、協同組合を立ち上げた。地元の農家が仕事に見合った対価を受け取れるように販路を開拓。父親と違う形で「壁」と闘ってきた。
ブライト選手に響いたのは「世界のどこでも、すべての人種が野球をプレーしていいということ。42番はどの番号よりも社会的なインパクトがあるんだ」との伝言だった。背番号に宿る大事な意味を改めてかみしめ、背筋が伸びる思いがした。
米国15日、大リーグで恒例の「ジャッキー・ロビンソン・デー」が開催され、ドジャースの大谷翔平選手ら全員が42番のユニホームでプレーした。ロビンソンさんが47年にデビューした記念の日。1人が切り開いた道が広がり、現在では多数の国の選手が活躍。大谷選手がスターとして輝く。
昨年1軍デビューしたブライト選手が思い描くのも多様性が認められる世界だ。「ハーフということが誇り」と語り「ハーフの人にも勇気を持ってもらえたらうれしい」。ロビンソン家との交流の中ではガーナ訪問を勧められた。現役生活を終えた後、自分のルーツを旅したいと思っている。
× ×
ブライト 健太(ぶらいと・けんた)東京都足立区出身で小学6年で野球を始める。東京・葛飾野高校時代は無名で上武大学に進学。4年時の全日本大学選手権で2本塁打を放つなど急成長を遂げた。22年にプロ野球中日入りし、昨年1軍デビュー。強打と俊足が売りの外野手として期待が高い。父はガーナ人で母は日本人。184センチ、88キロ。右投げ右打ち。24歳。