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【識者コラム】名付けがつくる動物の物語 日本流の自然観 山極寿一

 昨年の秋、アフリカのルワンダにある火山国立公園を訪れた。久しぶりにマウンテンゴリラと再会することが目的だった。1980年にここで調査を始めてから40年以上の月日が流れた。私が最初に仲良くなったのは当時6歳のタイタスというオスだった。

山極寿一さん
山極寿一さん

 その後、ルワンダでは内戦が起こり、公園の中でも何頭ものゴリラが犠牲になった。タイタスは運よくこの時代を生き抜き、リーダーとして多くのメスたちを率い、子どもたちに慕われて老齢を迎えた頃、私は26年ぶりに会いに行った。
 ▽ゴリラとの再会
 2008年に再会したタイタスは私のゴリラ流のあいさつに応え、昔のしぐさをして私を迎えてくれた。その時、私に近寄ってきて小さな足で私にけりを入れたのが、3歳のオスゴリラだった。彼はタイタスの子で、やんちゃ盛りだった。
 ここのマウンテンゴリラの映像を取り続けてきた写真家の森啓子さんのおかげで、今回このオスゴリラにまた会うことができた。セガシラと名付けられたこのオスは背中が白銀の毛でおおわれ、立派なシルバーバックになっていた。
 私はひと眼で彼がタイタスの息子だと確信した。鼻の上に付いているひだ(鼻紋)や額の上の赤茶色の毛、しかも表情がタイタスとそっくりだった。セガシラはそこにいるだけで、ゴリラたちの40年にわたる物語を私に伝えてくれた。
 それは振り返ってみれば、彼らが名前のあるゴリラだったからである。タイタスという名前を付けたのは米国のダイアン・フォッシー博士だった。1967年に博士が初めて野生のゴリラに近づき、やがて博士を受け入れてくれたゴリラのグループにタイタスは生まれた。
 タイタスはオスたちとグループを組み、それを私が担当して調査することになったのである。博士は不幸にも85年に何者かに殺害されてしまったが、その後も公園のスタッフと研究者たちが名前の付いたゴリラたちの動向を追跡してきた。
 今回、公園長と話をしたとき、彼が多くのゴリラの名前を知っていることに私は感動した。
 この公園では23グループのゴリラが人に慣れていて、観光客が訪問している。1グループにつき観光客は8人まで、1時間の観察で1人1500ドル(約22万円)の料金だ。今やルワンダの外貨収入のトップとなっている。毎年生まれた赤ちゃんゴリラの命名式典が開かれ、世界から多くの有名人が集まって高額の名付け料を払う。
 しかし、そもそもフォッシー博士は日本の霊長類学の方法を学んで、ゴリラに名前を付けたのである。50年代に私の恩師である伊谷純一郎や河合雅雄はニホンザルの1頭1頭に名前を付けて、それぞれの行動記録を付け始めた。その結果、サルたちが社会を作り、新しい行動を仲間どうしで伝達し合う文化的な能力を持つことを示した。
 当初、動物に名前を付けることを欧米の学者たちは擬人的だと批判したが、フォッシー博士はあえてこの方法を採用した。
▽個性への敬意
 日本の霊長類学者が草創期にサルに名付けて調査をしたのは、シートン動物記に感銘を受けたからである。創始者の今西錦司は弟子たちに英語の論文ではなく、まず動物記を書くことを求めた。
 シートンのように動物を英雄視するのではなく、すべての個体に名前を付けて、その日常的な行為を逐一記録した。それが文学と科学の分かれ道だと、「日本動物記」のあとがきで今西は述べている。
 東京の多摩川に現れたアゴヒゲアザラシのタマちゃん、北海道各地で牛を襲い続けたオスのヒグマはOSO18と、日本人は野生動物に名前を付けるのが好きである。
 名前を付けるということは、動物を、個性を持った個体として見る行為である。人間以外の動物も、この世界でそれぞれの物語を生きていると見なす考えは日本に根強い。それは動物を人間とは違う存在として扱い、管理しようとしてきた欧米とは異なる。
 動物を名付けて人間と同格に見なす日本の考えは、自然と共生しようとする今の時代に必要なのではないだろうか。たとえ人間と敵対し、害獣として駆除される運命にあっても、その生き方に敬意を払う。その自然観を大切にしたいと思う。(総合地球環境学研究所長)
   ×   ×
 やまぎわ・じゅいち 1952年、東京都生まれ。京都大理学博士。アフリカ各地でゴリラの野外研究や保護活動に取り組む。国際霊長類学会会長、京都大学長、日本学術会議会長などを務め、2021年4月から現職。著書に「家族進化論」、「ゴリラからの警告」など。

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