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世界一のピアノづくりに尽力 河合楽器の河合弘隆氏死去 「シゲル・カワイ」に社運かける

 76歳で死去した河合楽器製作所の河合弘隆会長兼社長は、創立100周年を迎える2027年に向け、「グループの総力を挙げて企業価値の向上を図る。ピアノのトップブランドを目指し、音楽文化の発展に貢献していく」と中期経営計画の記者発表で決意を示すなど、ブランド力と生産販売強化に強い意欲を示していた。

一新した河合楽器製作所の最高級グランドピアノ「シゲル・カワイ」を紹介する河合弘隆社長(当時)=2012年1月、浜松市内
一新した河合楽器製作所の最高級グランドピアノ「シゲル・カワイ」を紹介する河合弘隆社長(当時)=2012年1月、浜松市内

 創業者の祖父小市氏、父滋氏の後を継ぎ、42歳だった1989年10月、3代目社長に就任した。「まじめで派手さがない、堅実経営」というのが周囲の一定した評価。バブル崩壊など、政治経済が混乱を招く中で生き残りを模索し、2001年に安定的な利益を確保する経営構造への転換を柱とした「経営改善計画」を打ち出した。
 経営の健全化に尽くすため、低価格帯のピアノを海外生産に移行し、都市対抗野球大会で優勝した野球部や、五輪の金メダリストを輩出した体操部などの休部を決定。「河合の精神的支柱でもあり、広く市民の皆さまの声援をいただいたが、休部に踏み切った」と苦渋の決断を下した。
 一方で、「世界一のピアノづくり」は不変のままだった。
 父の名前を冠した最高傑作のグランドピアノ「シゲル・カワイ」に社運をかけ、生産、販売、アフターサービスで最高の仕事を社員に求めた。2017年からは「シゲル・カワイ国際ピアノコンクール」を開催し、若手ピアニストの育成にも貢献してきた。
 プライベートでは写真が好きで、21年前から出張で出向いた海外の歴史的な建造物などを中心に風景写真を撮影し、会社のカレンダーにも使用してきた。晩年は足腰を痛め、車いす生活となったが、2022年10月にはショパン国際ピアノコンクールで同社ピアノを使用し、ファイナリストに選ばれたピアニストに感謝状と目録を手渡したほか、毎年5月の決算発表で記者会見に臨むなど、精力的に社業に取り組んだ。

音楽のまちから悼む声「浜松の発展に大きく貢献」
 河合楽器製作所の河合弘隆会長兼社長の訃報が伝わった26日、地元浜松の音楽業界や静岡県内政財界の関係者から悼む声が上がった。
 ヤマハの中田卓也社長(65)は「長きに渡り業界の発展に尽力された」とコメントした。ローランドのゴードン・レイゾン社長(58)は「ピアノづくりに情熱を注がれ、静岡・浜松の地から世界に向けて音楽および芸術文化の発展に尽力された」と話し、鈴木楽器製作所の鈴木礼子社長(73)は「当社の創業者鈴木萬司から深い縁があり、昨年7月のしのぶ会でご弔辞をいただくなどお世話になった」と回顧した。浜松市楽器博物館の鶴田雅之館長(51)は「急なことで驚いている。博物館には楽器の提供やイベントなどでご協力いただいた」と惜しんだ。
 河合氏は浜松をPRする市委嘱の「やらまいか大使」を2007年度から務めた。中野祐介市長(53)は「浜松国際ピアノコンクールをはじめ市の文化芸術事業に支援いただいた。音楽の都・浜松の発展に大きく貢献された」。浜松商工会議所の斉藤薫会頭(71)は「長きに渡り、経営者としてその手腕を発揮され、地場産業である楽器製造業の発展にご尽力いただいた」と敬意を表した。
 親交があるはごろもフーズの後藤康雄会長(75)は「かつてご一緒したワルシャワでのショパンコンクールは素晴らしかった。優しいお人柄で、ご逝去は早すぎて残念」と追悼した。
 スズキの鈴木修相談役(94)は「先代のころからお世話になった。ご冥福をお祈りします」としのんだ。

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