テーマ : サクラエビ異変

鈴木款先生の夏休み教養講座 3時限目「陸からの恵み」

 「森が消えれば海も死ぬ」という本を1993年に出版した、友人の松永勝彦・元北海道大教授は、海の魚介類を増やすためには湖岸、川辺、海岸の森林を守ることの大切さを本の中で述べている。漁師はこの森を「魚付き林」と呼び、森の栄養分が海の生物を育てると知っている。

  陸から川を通じて運ばれてくる海への恵みとは何だろう。森林では枯れ葉が微生物により分解され、これが細かい粒土の鉱物と混合し腐植土層が形成される。この腐植土層の形成が海の生物に貴重なミネラルを供給する。腐植土層には有機物が多量に存在し、その有機物は鉄などの金属と結合する機能がある。
  一般に河川水が流入する沿岸域の植物プランクトンの生産量は外洋に比べ3~10倍高い。東シナ海のような大陸棚では、さらに「湧昇」(深層から大陸の斜面を伝わって海水が湧き上がってくる)による効果で深層から栄養塩や鉄などの微量金属の供給が加わり、植物プランクトンの生産量は一層高くなる。
  植物プランクトンの増殖には鉄は不可欠な元素だ。外洋で表層水に栄養塩濃度は十分なのに、植物プランクトンの生産が十分行われない例がある。この現象について「鉄が不足しているのが原因ではないか」と最初に考えたのが米モスランディング研究所のジョン・マーチン博士である。世界の海洋学者が彼の仮説を実証しようと多くの国際プロジェクト研究を行った。親友でもあったマーチン博士は亡くなったが、彼の説は正しかったことが実証されている。
  光合成を行う植物プランクトンは、硝酸塩(栄養塩の一つ)を取り込むとき、先に鉄を必要とする(必要量はごく微量!)。体内に取り込まれた硝酸塩は体内でアンモニアに還元する必要があるのだが、このとき鉄が硝酸還元酵素として働くからだ。また鉄なしでは光合成色素であるクロロフィルも合成されない。土壌由来の鉄は腐植土層中の有機物である腐植酸と固く結びつき、供給された時、植物プランクトンがより利用しやすい形態をしている。このように、海の恵みの供給源である河川は、豊富な栄養塩と鉄などの微量ミネラルを運ぶ役目をしている。
  ところが、ここに多量の泥や堆積物、さらには不要な化学物質、農薬や環境ホルモンなどが河口域に流出してくると事情は違う。多量の泥が表層に長時間浮遊すると光合成に必要な光を遮り、植物プランクトンの光合成を妨げる。特に泥の中でも1ミリ以下の細粒は長時間滞留する可能性がある。また細粒には病原菌や化学成分が付着している可能性もあり、泥は泥だけの問題ではない。富士川河口域の濁りの元である、上流から流出する泥のサイズ分布や付着しているさまざまな成分の調査、どのくらい海に拡散、滞留するかの調査が必要だ。この調査がないとどこまで泥がサクラエビに影響しているのかをきちんと評価することはできない。
  光合成に必要な光量は、実は表層では光が強すぎることもある。濁りが表層に漂う状態が光合成にプラスかマイナスかをきちんとするためにも鉛直方向の調査が必要である。
  温暖化による植物プランクトンへの影響とこの濁りがどの程度重複して影響しているか、それを評価することは容易ではない。ただ、調査と解析手法をきちんと決めれば可能だ。大事なのは臆測や科学的根拠なしで状況判断することはできないということだ。それなしで駿河湾のサクラエビ不漁の原因は明らかにできないし、駿河湾の水産資源を守る対策も立てられない。

  すずき・よしみ 静岡大創造科学技術大学院特任教授。71歳、浜松市出身。日本サンゴ礁学会前会長。国際サンゴ礁学会評議員を歴任。三菱商事のCSR活動に関わる。海洋立国内閣総理大臣賞など受賞多数。

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