テーマ : サクラエビ異変

台湾最前線(3)総量規制敷く東港 漁師で管理班、不漁克服

 水揚げ金額の均等割(プール制)を行う駿河湾と、1船12ケース(1ケース=15キロ)の「持ち帰り数量制限」を通じ、総量規制を敷く台湾・東港のサクラエビ漁。駿河湾がかつてない不漁に陥る中、東港の漁獲管理には日本の研究者も注目する。

進水したばかりのサクラエビ漁船「天進興」の前で黄嘉正船長(右)を祝福する東港区漁会秘書の鄭福山さん。大漁を願って船体は飾り付けされている=2月下旬、台湾・東港
進水したばかりのサクラエビ漁船「天進興」の前で黄嘉正船長(右)を祝福する東港区漁会秘書の鄭福山さん。大漁を願って船体は飾り付けされている=2月下旬、台湾・東港
台湾・東港のサクラエビ水揚げ量
台湾・東港のサクラエビ水揚げ量
中華民国陸軍第一特殊兵時代の鄭福山さん。新兵の教育班長だった=1982年ごろ、台湾・台南市(鄭さん提供)
中華民国陸軍第一特殊兵時代の鄭福山さん。新兵の教育班長だった=1982年ごろ、台湾・台南市(鄭さん提供)
進水したばかりのサクラエビ漁船「天進興」の前で黄嘉正船長(右)を祝福する東港区漁会秘書の鄭福山さん。大漁を願って船体は飾り付けされている=2月下旬、台湾・東港
台湾・東港のサクラエビ水揚げ量
中華民国陸軍第一特殊兵時代の鄭福山さん。新兵の教育班長だった=1982年ごろ、台湾・台南市(鄭さん提供)

  東港の数量制限はサクラエビ漁船113隻全てが対象。1日当たり12ケースをオーバーした場合、売上金は東港区漁会(漁協)への寄付に回される。操業停止や罰金などの罰則もある。
  「この海の可能性に自信を持っている」。2月下旬、数時間前に進水したばかりで、「満載(豊漁)」と書かれた旗が船体に飾られているサクラエビ漁船「天進興」(49トン)の前で、黄嘉正船長(39)は胸を張った。
  家族は妻と3人の子供。新造費2800万元(約1億円)のうち、4割以上は借り入れだ。夕方から開かれたパーティーでは徐志雄・東港鎮長(市長)=(56)=ら200人以上が門出を祝った。
  東港ではサクラエビ漁船の新造が毎年1、2隻はある。
  「彼がいなければ、今の東港のサクラエビ漁はなかった」―。そう尊敬を集める人物が漁会職員にいる。秘書(幹部職)を務める鄭福山さん(59)だ。
  1980年代前半に本格化した漁。乱獲が横行し、競りが行われず、漁師は加工業者に比べ立場が弱かった。買い付けの後に難癖を付けられ価格を引き下げられることもあった。今の宜蘭(ぎらん)県・亀山島のようだ。
  「虐げられる漁師を見ていられなかった」と貧しい漁師町出身で幼い頃から苦労を見てきた鄭さんは話す。
  東港の資源管理は、リーダーの鄭さんがサクラエビ漁師に呼び掛け、92年に漁師組織の「生産管理班」を漁会内に設置したことでスタートした。ただ、発足当初は18隻しか加わらなかった。
  「『なぜ水揚げを制限されるのか』と皆考えた。『所得向上にもなる』と船長の家族を一軒、一軒説得して回った」と振り返る当時30代だった鄭さん。
  生産管理班では価格や資源状況などを見極め、年に一度持ち帰り数量制限を見直す。537トン(2017年度の約4割)の水揚げしかなかった1999年度以降はほとんど変えておらず、一時の不漁も乗り切った。
  「駿河湾のプール制のように出漁対策委員会が日々水揚げ量を決めるシステムではないため、東港では結果的に資源管理に結びついた面もある」との指摘が専門家からある。
  生産管理班の立ち上げ時には加工業者から猛烈な反発があった。一時は「生産管理班の漁師からはサクラエビは買わない」との圧力もあった。それでも船長たちの気持ちをしっかりと離さなかった。
  功績を買われ、台湾の政府から表彰も受けた鄭さん。「徴兵時代に新兵の訓練担当をしていて、人前で話すことに慣れていた。それが生きたかも」。笑いながら、人さし指で鼻の下をこすった。   (「サクラエビ異変」取材班)

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